2006年11月、製品安全に関するイベントの基調講演に立った工学院大学教授の畑村洋太郎氏(現・東京大学名誉教授)は、こんな持説を述べている。
「これまで、重大事故を予見させる軽微な事故が軽視され、結局、“本質安全”を避けた対応で済まされてきた」
折しも同年6月、東京都港区の区営住宅で男子高校生がシンドラー社製のエレベーターに挟まれて亡くなる痛ましい事故が起きた後だっただけに、『失敗学』で知られ危機管理問題に精通する畑村氏の言葉には熱が入っていた。
しかし、その警告も軽視されたまま、再びシンドラー社製エレベーターで死者が出てしまった。犠牲になったのは「アパホテル金沢駅前」で清掃員をしていた63歳の女性。突然動き出した業務用エレベーターのカゴと上部の枠にはさまれた事故状況は、6年前と酷似している。
今回の事故に繋がる可能性のあった軽微な事故は、2006年以降も度々起こっていた。2007年には大阪府の西成警察署、2010年は愛知県の東山動植物園や千葉県の東大柏キャンパス、今年に入ってからも福岡県内の市営地下鉄七隅線次郎丸駅……。多くの人が集まりやすい場所でシンドラーのエレベーターが止まったり急に動き出したりと“暴走運転”を繰り返していた。
こうした事例を見る限り、安全対策はこの6年間まったく施されてこなかったように映る。精密機械に詳しい日本大学理工学部教授の青木義男氏に聞いた。
「2009年に建築基準法施行令が改正されて、新設のエレベーターには勝手にカゴが動き出さないように安全装置の二重化が義務付けられましたが、それ以前に設置されたエレベーターは適用外。『既存不適格』のレッテルを貼られて行政の指導は受けていたのですが、法で罰せられないために安全対策をしてこなかった建物は多いのです」
では、なぜシンドラー社の安全・品質管理はかくも杜撰だったのか。2007年1月には前出の畑村氏を筆頭に、危機管理のスペシャリストたちがシンドラー社に入り、「独立アドバイザリー委員会」を設置。安全な製品の供給には万全を期していたはずだった。しかし、外資系企業に根付く低コスト体質を問題視する声は鳴りやまない。
「国産エレベーターは最初から安全装置を施した製品を売っているので高価格なのに比べ、ヨーロッパのメーカーは基本となる販売価格をできるだけ抑え、安全装置は希望すればオプションでつけられる形態になっています。スイスに本拠を置くシンドラー社も例外ではありません。これまで公共工事の競争入札などで安いエレベーターを大量に納入してきた会社だけに、安全性の向上はコストとの兼ね合いを見ながら最低限しか行ってこなかった可能性は否定できません」(前出・青木氏)
シンドラーで「安全改革」に腐心した畑村氏は、その後、東京電力福島第1原発事故の政府事故調査・検証委員会で委員長を務め、この10月からは消費者庁の消費者安全調査委員会の初代委員長にも就任した。
冒頭の講演で、畑村氏はこんなこともいっている。
「安全性を確保するには“制御安全”に頼ってはだめ。設計段階からの“本質安全”こそ重要なのです」
畑村氏が強調する本質安全がメーカーのみならず現場レベルに浸透するまでに、あと何度同じ過ちが繰り返され、何人の被害者が出てしまうのだろうか。