そういえば、日本でこれほどタトゥーが話題になることはかつてなかった。作家で五感生活研究所の山下柚実氏の論考である。
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橋下大阪市政のもとで勃発した市職員のタトゥー問題。「職員の入れ墨が市民の方の目に触れることになれば、不安感や威圧感を与え、市の信用を失墜させる」として、職員の入れ墨調査、配置転換を実施して賛否を巻き起こしたことは記憶に新しいと思います。
一方で、顔から全身までタトゥーを入れた大学教授がチェコの大統領選に参戦する、というニュースが飛び込んできました。
「異色候補として注目を集めるのがプラハの大学の演劇学科教授ウラジーミル・フランツ氏(53)。顔面を含む全身入れ墨で、宇宙人と見まがうほどの異形だが、『入れ墨は私が選んだ肌の色。人びとの寛容度が試される』と訴える」(『東京新聞』2012.10.26)
チェコ共和国大統領選挙に出馬するために署名を集めているこの候補者は、大学の演劇学科教授。欧米ではタトゥーを「芸術」「アート」ととらえる人々が存在していることもたしかです。
「五感」「身体」というテーマで取材を続けてきた私自身、「身体改造アーティスト」のルーカス・スピラ氏がフランスから来日した際、直接、インタビューをしたことがあります。
ルーカス氏はタトゥーだけでなく、メスで身体に図柄を刻む「カッティング」や、皮膚の下に医療用ステンレスを埋め込む「インプラント」などの「身体改造」を、自分や他者に施してきたアーティスト。
「身体へのアートは一回性の試みです。肌に下書きをし、メスを入れ、カットする。絵画のように手直しはできません。その分、強度な緊張と集中が要求されます。身体は、それくらいパワフルなキャンバスなのです」と語ってくれました。
ルーカス氏のパートナーのビビアン氏も、両腕の肌を埋め尽くすタトゥーを入れ、ボディピアスやカッティングをしていました。
「フランスだと『なぜ自分の身体を傷つけるのか』と、非難や批判の目で見られることが多い。排除される感覚を抱かされるのがヨーロッパ。ヨーロッパ人は、すぐに人をカテゴリーで括りたがるんです。身体に模様を描くのはマゾだとか。そうじゃない。私のカラダは私のもの、自由にしたい。自分のイメージに沿って、美しくアーティスティックに変化させていきたいだけなのです」
彼らは言いました。キリスト教が浸透している社会では、身体を神からの授かりものとして受け取るから、身体を勝手に「改造」することは神を冒涜する行為としてタブー視されている、と。
強いタブーが存在する。だからこそタトゥーを入れる行為が、体制批判や旧来的価値観を批評する行為として意味を持つ、ということにもなるのでしょう。
顔・全身にタトゥーを入れた演劇学科教授が大統領選に立候補するということは、あえて、異形の身体を社会に示すことを「批評的」「芸術的」「演劇的」に意図しているのかもしれません。
日本の社会といえば、大阪市の問題が起こる前までは、一部の職業では制限されてはいても、ヨーロッパのようにタトゥーを不道徳で反社会的な行為として激しく指弾されるということは少なかったようです。
ファッション感覚で入れる人も多く、社会の方も積極的に奨励こそしないけれど絶対的にダメともせず、結果としてあいまい・ゆるやかに許容してきたのでしょう。
「私の出会った日本人は、黙って、大胆に改造します。痛みを真正面から、真面目に受け止める。刺青や血で文字を書くといった、長い文化的経験や独特の身体観が、背景にあるのではないかと感じます。その姿は私にとってとても魅力的です」とルーカス氏は語っていました。タトゥーは時として、その社会や文化のあり方を写す鏡にもなるのです。