一流のプロ野球選手がプレーをしていれば、どうしても避けることができないのがケガや事故。選手の中には、“不慮の事故”としか言いようのないようなケースで、選手生活に終止符を打った者もいる。2人の選手の例を紹介しよう。
乱闘はプロ野球の華だが、それで選手生命を終わらせてしまった選手がヤクルトの中西親志だ。それまでにも数々の乱闘歴で知られた中西、最後の立ち回りは1994年5月11日の巨人戦で繰り広げられた。
序盤で西村龍次が巨人・村田真一の頭部に死球を与えて負傷退場させると、今度は巨人・木田優夫が西村に報復死球で場内は異様なムードに。続いて西村が巨人・グラッデンに対してのけぞるような球を投げた途端、両軍ベンチから選手が飛び出してグラウンドが修羅場と化した。
この乱闘でグラッデンと殴りあった捕手・中西は、両者暴力行為で退場。中西は顔面骨折を負った上、乱闘中に負傷、この試合後に一軍出場はなく、結果的に選手生命を絶たれた。
そして極めつきは、一度も一軍でプレーせずに引退したドラ1選手だ。1981年のドラフト1位で阪神に入団した源五郎丸洋投手。高卒ルーキーとしての能力は怪童・尾崎行雄か池永正明以来と騒がれた。
しかし歯車は急に狂った。3月、卒業式に出るため帰省中だったところを、球団から「有料でお客さんを入れる紅白戦をやるから」との理由で急遽呼び出されて出場。投球を披露したまではいいが、その後の練習中にベースランニングで転倒し負傷した。右大腿部二頭筋断裂で全治4か月。
ケガが癒えたのちも投球の冴えは戻らず、一軍昇格もないまま、4年後の1986年オフには戦力外通告を受ける。客寄せのために強引に出場させられた結果、野球人生を棒に振ることになった。
※週刊ポスト2012年11月16日号