橋下徹・大阪市長の提唱で一躍注目された大阪都構想。実はモデルとなった東京都では正反対の運動があった。世田谷区はかつて東京都からの「独立」を訴えていた。元世田谷区議が語った。
「1980年代半ば、我々は本気で政令市を目指していた時期があったんです。背景には区行政の権限を巡る不満がありました。当時、世田谷区の人口は70万人を超えていたのに、区は都の内部団体とされ、財布の紐も完全に都庁に握られていました」
1989年には当時の区長が「世田谷独立宣言」を出し、ポスターなどで区民に独立を訴えた。
「熱気は一気に高まり、区のネーミングをどうするかという話も取り沙汰されました。“平安京”になぞらえた“世田谷京”なんて名前もあがりましたね」(同)
だが独立運動はその時がピーク。2000年、23区が市と同じ「基礎的自治体」に格上げされたことで熱は完全に冷めた。渦中の「大阪都」構想は、政令市の大阪市を特別自治区に解体して二重行政を解消しようという狙いだが、東京では正反対の運動があったのだ。
※週刊ポスト2012年11月16日号