みうらじゅん氏は、1958年京都生まれ。イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャン、ラジオDJなど幅広いジャンルで活躍。1997年「マイ ブーム」で流行語大賞受賞。仏教への造詣が深く、『見仏記』『マイ仏教』などの著書もある同氏が、“散骨”の海洋葬に参加した。
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散骨のセレモニーがはじまろうとしたその瞬間、船上に音楽が流れ出した。石原裕次郎の『錆びたナイフ』(1957年の曲)。散骨の際は、遺族からのリクエストに沿った音楽をBGMで流してくれるのだった。
船上が、まさしく「海洋葬」というムードに包まれてきた。
以前から散骨といえば一番気になることがあった。よく映画で、散骨しようとしたら、粉状になった骨が海風に舞って、撒こうとした人の顔にバッとかかるっていうシーンがあるじゃないですか? それが実際にあるのかどうかってことですよ。
『ビッグ・リボウスキ』っていう映画のエンディングでも、太平洋を臨む崖っぷちでこんなシーンがありましたよ。
「風」の海洋葬で、遺灰が紙に包まれているのは、実はそうした事態を防止するためだったんです。そうしないと、海上では、やっぱり撒いた遺灰が、風に舞って撒いた人の顔を直撃するってことが起こるんだそうだ。
この紙は水にすぐ溶ける紙で、遺灰はこの紙に包まれたまま海へと撒かれるのだ。風で灰がブワ~ッと空中に散乱するなんていうお笑いシーンになる可能性はまったくなかったのだ!
この日も、紙に包まれた遺灰が、代理の「風」のスタッフの手によって海に撒かれた。遺灰は海に入った途端、紙が溶けることによって海中にキラリキラリと光りながら舞い沈んでいった。
散骨の後には、海に故人の好きだったビールが献酒された。献酒の後は海への献花だ。花も遺族の「淡い色で」「全部赤いバラで」などといったリクエストにそってスタッフが用意してくれるそうだ。 故人の遺灰は海に沈み、花びらが波間を漂う。散骨は一瞬にして終わる。
ちなみに代理散骨を依頼された遺族の方は、船酔いしてしまうからという理由で、船には乗らなかったそうで、マリーナまでは足を運ばれて、出港・帰港は見届けていた。
ゆっくりとしたヨットでの航行とはいえ、船に弱く、船酔いするという人は多い。そういう人が代理散骨をお願いするのだという。
代理散骨の場合でも、散骨を行なう船上から遺族に連絡をすることも可能。実際にこの日もマリーナで待つ遺族に「これから散骨します」と連絡していた。遺族はそれに合わせて海に向かって合掌していたという。
※週刊ポスト2012年11月18日号