中国に赴任する大使人事が、二転三転した。西宮伸一外務審議官が発令直後に急死。その後任が官房副長官補だった木寺昌人氏に決まったが、この難局の中でその任を十分に果たせる人物なのか。同氏のこれまでの仕事ぶりを直接見てきた佐藤優氏が、この人事を評価できる理由を解説する。
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外務官僚に関して厳しい鈴木宗男氏(新党大地・真民主代表)も、木寺氏に関しては例外的に高く評価する。同氏の「現状において外務省はこの人しかいなかったのだろう」というブログでの評価に筆者も賛成する。
木寺氏は、フランス語の能力も外務省のトップクラスだ。外国語がよくできる外交官は、いずれも努力家である。それと同時に木寺氏は、人間的に誠実だ。筆者の印象に残っているのは、2001年に田中真紀子氏が外相に就任し、機密費問題で外務省が大揺れになっているときに会計課長をつとめていた木寺氏の対応だ。
当時、筆者は国際情報局の主任分析官だった。情報収集やロビー活動に機密費は不可欠だ。自粛ムードが漂う中で木寺氏は筆者に「仕事に必要な報償費は使ってください。責任は私がとります」とはっきり述べた。
田中氏は、ポピュリズムの流れに乗って、機密費問題を徹底的に利用しようと考えた。確かに外務省の機密費の使い方には深刻な問題があり、それが元要人外国訪問支援室長による5億円以上の機密費詐欺事件につながった。
しかし、外務省機密費の大部分は、情報収集やロビー活動などのインテリジェンス業務に用いられていた。田中氏は、機密費関連の書類が保管されている会計課審査室に乗り込んで、情報提供者の氏名が記されている書類を引き渡せと要求した。この要求を拒否したのが木寺会計課長だった。
そのために木寺氏は、田中氏の標的の1人とされた。もしあのときに木寺氏が田中氏に阿って機密費関連の秘密書類を引き渡していたら、日本外交に取り返しのつかない打撃を与えていたと思う。木寺氏は田中氏との軋轢で体調を崩してしまい、会計課長職を離れることになった。
木寺氏が会計課長を離れる頃には、田中氏の関心は機密費問題から鈴木宗男氏との対決に移っていたので、後任の会計課長は木寺氏のような心労を抱えずに済んだ。
一部に「田中真紀子外相のときに、病気になって職場を離脱した木寺に中国大使のような難しい仕事が務まるか」という批判があるが、ピントが外れている。木寺氏が情報源の保全という外交官の職業的良心を放棄して田中氏に迎合していたならば、木寺氏が体調を崩すこともなかった。
外務省が鈴木宗男パージを行なった後も、衆議院議員としての鈴木氏に対して、木寺氏は普通の接触を続けた。「国会議員は国民の代表である」という民主主義の原則を木寺氏は尊重するので、外務省主流派の「鈴木排除」とは一線を画したのである。こういう腹が据わり、誠実な外交官ならば、難しい対中国外交で日本の国益を極大化できると筆者も期待している。
※SAPIO2012年12月号