かつて、「ビニ本」と呼ばれるポルノ写真集が一斉を風靡した。しかし、そもそもなぜビニール袋に入れられたのだろうか。風俗評論家としても有名なライター・藤木TDC氏が昭和のビニ本ブームを振り返る。
* * *
エロ雑誌の革命は、1970年代半ばのある日忽然と、街角から始まった。
読者の多くも記憶しておられよう。裏通りの一隅にひっそり登場した自動販売機の存在を。ガラスの向こうに陳列されていた淫靡なエロ雑誌の数々こそ、いわゆる自販機本というエロ雑誌革命の先駆けだった。
今となっては笑い話、その表紙はどう見ても三十路手前の熟女モデルに強引にセーラー服を着せた不自然な代物だったが、見てはいけない女体の神秘が写ってるのでは? との淡い期待から、多くの男たちが自販機にコインを投入した。
自販機本はさして露出度の高い雑誌ではなかったが、書店員と対面せずに買える気安さが受けた。酒のおつまみなどのスナックを並べた自動販売機に、スナックと同じサイズのエロ雑誌を並べたら売れるかもしれない、というのが発端で、ゆえに自販機本は一般週刊誌よりも小さいB5判になった。弱い露出、表紙とは別人のグラビア……自販機本の化けの皮がはがれると、次に別種のヌード写真集が大ヒットした。
透明のビニールに包まれたそれらのヌード写真集はビニール本、略してビニ本と呼ばれた。
なぜ袋入りになったか諸説あるが、ビニ本の聖地・神田神保町の芳賀書店によると、一般書店に流通しないマイナー出版社のヌード写真集を立ち読み防止のために袋入りにしてみたら、爆発的に売り上げが伸びたからだという。
部数を拡大したビニ本は、読者の期待に応えるように露出度を増していった。ヘアヌードが完全に御法度だったこの時代、ビニ本における女性の股間表現の急速な進化は世の男性にとって“神の業”といえた。
1970年代末にヒットした松尾書房の「下着と少女」シリーズはパンティの丘のあたりがうっすら黒く翳っている程度だったが、1980年にはレースのパンティごしに一本一本のヘアが確認できるまでに過激化、さらに局部の果肉がうっすら透視できるまでになっていく。
田口ゆかりが登場し、モデルの美貌が注目され、世界ヌーディストコンテストで準優勝した岡まゆみの『慢熟』がベストセラーになった。他にも寺山久美、小川恵子、中村絵美などビニ本界に続々とアイドルが登場した。
合法か非合法かがグレーゾーンだったビニ本は、商店街の古本屋の奥まった一角でひっそり売られる一方、学生街や郊外の国道沿いに堂々と「ビニ本専門店」を謳う店舗も出現した。
同好の士が殺到する明るく小奇麗な店舗、レジに立つオバチャン。男たちは恥ずかしがることもなくビニ本を買うことができるようになった。
【プロフィール】
●藤木TDC/ふじき・てぃーでぃーしー:1962年生まれ。文筆業、アダルトビデオなどの風俗評論家として有名だが、酒場に関する著書を発表して話題になるなど、活動範囲が広がっている。ラジオでの人気も高い。
※週刊ポスト2012年11月16日号