11月15日で横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて35年が経つ。小泉純一郎・元首相の電撃訪朝からも10年の歳月が過ぎたが、いまだに拉致問題解決の糸口は見えない。めぐみさんの両親である横田夫妻も、滋氏は79歳、早紀江さんは76歳となった。2人は「親子」「家族」の絆についてどう思うのか。
――35年もの間めぐみさんに会えない日々が続いています。
滋:35年といっても、何が起きたのかわからなかった最初の20年と、拉致だとわかってからの15年はだいぶ違います。最初の20年はただ必死で、タウン誌に載ったボウリング選手に似た人がいると思ったら彼女が出るという選考会を見に行き、美術展で画に描かれた女性と面影が重なったらモデルは誰か作者の方に問い合わせ……そんなことを繰り返していました。
早紀江:それでも手がかり一つありませんから、なぜ消えてしまったのかと自問自答する日々でした。拉致だとわかってからはむしろやるべきことが明確になった気がします。
――拉致と判明してからは、全国各地での講演などで訴えを続けています。
早紀江:ありがたいことに、小中学校や大学での講演では、どんなにやんちゃそうな生徒さん、学生さんでも黙って熱心に私たちの話を聞いてくれるんです。それはもう、学校の先生方が驚くほど。
滋:感想も単に「拉致されてかわいそうだ」といったものだけではなく、しっかりとした自分の考えがある。
早紀江:小学校の低学年でも、「親と暮らしている当たり前のことが幸せだと気づきました」「今朝、親と喧嘩したけど、しないようにします」であるとかしっかりしたことを書いてくれます。
――ご夫妻の活動を見て「親子とは何か」を考え直す人も多いのだと思います。
早紀江:私たちはただ拉致被害者を返してほしいと願って話しているだけですが、そうかもしれませんね。ボタン一つ押せば何でも出てくるような平和で豊かな日本ですが、親子の繋がりは希薄になってきたかもしれません。若い人も拉致問題を通して、それを感じているのでしょうか。
――若者だけでなく親の世代も、「親の果たすべき責任や役割」を見失いつつあるとは感じませんか。
滋:本来は、子供のことを忘れる親なんていません。実際にいなくなれば全力を尽くして探しますよ。私たちは当たり前の気持ちで行動しているだけです。
早紀江:親の責任って、「自分が親にしてもらったことを子供にもしてあげたい」という思いが根っこにあると思うんです。私自身、貧しかったけれど大事に育ててもらいました。いつ思い出しても懐かしく振り返ることができます。13歳でいなくなっためぐみには、その責任を果たす機会が奪われてしまいましたから、そういう思いが強いのかもしれません。
――普通の「親子」が体験できたはずのものの多くが奪われた。
滋:めぐみが20歳の時は区役所から成人式の記念品が届けられました。選挙の際の葉書は今も届きます。銀行に短大卒の女子社員が入ってくると、「ああ、20歳のめぐみはこんな感じなのかなあ」と思ってみたり、考えない日はありません。
早紀江:知人の結婚式はほとんど出席しませんでした。どうしてもめぐみと重なってしまって辛いですし、「めぐみが結婚する時にはどんなことをしてあげられただろう」と考えて、折角のお祝いの席で泣いてしまうのも申し訳ありませんから。本当に、誰にもこんな経験はしてほしくありません。
――再会できたら、親の責任を果たす機会があるかもしれません。
早紀江:でも、そうなった時はもう……なんて言ってお詫びしたらいいか、わからないですね。
――「お詫び」ですか?
早紀江:本当なら北朝鮮に乗り込んででも助けてあげたいのにそれができない。親の責任を果たせず、私はずっと「ごめんね」という気持ちのままです。
※SAPIO2012年12月号