元プロ野球選手で日本ハム、阪神でプレーした宇田東植容疑者(64=本名・朱東植)が、11月9日までに風営法違反容疑で警視庁保安課に逮捕された。10月20日の昼に、東京都内の営業禁止地域のビルで経営していた個室マッサージ店で、男性客に対し、中国人の女性従業員(40)に性的サービスをさせた疑い。宇田容疑者は「店は従業員に譲った。今は経営していない」と容疑を否認しているという。
宇田容疑者は、1971年秋、ドラフト4位で本田技研から東映フライヤーズ(現・日本ハムファイターズ)に入団。なかなか芽が出なかったが、8年目の1979年には先発・中継ぎとフル回転し、9勝(3敗)を挙げ、規定投球回数もクリア。防御率3.47の好成績を残している。
当時の『プロ野球選手名鑑』(日刊スポーツグラフ特別号)を見て、宇田東植容疑者の人となりを探ってみよう。
1978年版の「短評」欄には、〈白星や~い。サイドから沈む球がどこまで生かせるか。契約更改での粘りぶりを野球でも〉と記載されている。
1976年はわずか1試合の登板で0勝に終わり、翌年の年俸は300万円。翌1977年は13試合に登板したものの、これまた0勝。そのため、「白星や~い」と書かれたわけだ。にもかかわらず、彼の年俸は1978年には20万円アップし320万円に。これが「契約更改での粘り」に他ならないだろう。
「1978年、宇田は30歳になる年。当時の風潮では、ベテランと呼ばれる年代です。大学、社会人を経て24歳になる年にドラフト4位でプロ入りしていますから、ドラ1組と違い、それほど優遇されないはず。
『2年連続0勝の30歳』は真っ先に解雇の対象になってもおかしくない。そうしたなかで、『契約更改での粘り』を見せ、20万円アップを勝ち取ったのは、かなり難易度の高い荒技です」(スポーツ紙野球担当記者)
進退が懸かったと思われる1978年には15試合に登板し、うち9試合に先発。2完投で2勝を挙げた。翌年には、9勝と再ブレイクしている。
その後、1982年阪神に移籍すると、中継ぎとして29試合に登板し、防御率2.57の数字をマークするが、オフに解雇。翌年からは韓国リーグのヘテに渡り、優勝に貢献した。引退後は、日本ハム戦を中心に解説者としてメディアにも出ていた宇田容疑者。どこで人生が狂ったのか。