【著者に訊け】松岡正剛氏・著『さらば!松丸本舗』/青幻舎/1890円
東京駅北口。丸善丸の内本店の4階に、松岡正剛氏(68)による知の実験場・松丸本舗はあった。単なるショップ・イン・ショップではない。一たびその本の森に足を踏み入れた者は知的好奇心をまんまと手玉に取られ、気づけば頭も脚も財布も(?)ヘトヘトという、何とも甘美で厄介な事態に陥るのである。
「寝袋こそ持って来ないけど、8時間居座る人とかね。スーツケースを二つ持ち込んで、満杯にして帰った人もいました」
去る9月30日、多くのファンに惜しまれつつ幕を閉じた〈奇蹟の本屋〉の3年の軌跡を、本書『松丸本舗主義』は余さず記す。松岡氏や現場スタッフ、各界の本好きの声を集めた本書に、例えば福原義春資生堂名誉会長は〈あれは幻だったのか〉と、惜別の辞を寄せた。
〈松丸本舗の事件はまもなく幻となる。/だがその記憶は世の中に次の種を残した。/どこでどう発芽することになるか。/まだ誰にも判らない〉と――。
松岡氏の肩書は編集工学研究所所長。あのアクセス数・300万強を誇る人気書評サイト「千夜千冊」のセイゴオ先生である。
「特に日本ではわかりやすい肩書が好まれますからね。編集工学? 要するに何者なんだ? と昔はよく胡散臭がられました(笑い)」
1996年の自著『知の編集工学』等の中で、広義の編集=情報間の関係を読み解き、自覚的に再活用する重要性を説いた松岡氏は、組織や空間など、ありとあらゆるものの編集に携わってきた。1987年にはその方法論をテクノロジーとして確立すべく、編工研を設立。また、2000年にはネット上に「ISIS編集学校」を開校し、後進の育成にも当たっている。
今回もいうなれば「書店の編集」だ。棚の並びや人の流れなど、一店丸ごとの編集作業の一部始終が、本書には惜しみなく開示されている。例えば1階入り口からエスカレーターを乗り継いで行く動線一つとっても、実に周到に計算されている。そして松岡氏は一見物理的な動線を引くかに見せて、訪れた人の“思考の動線”まで、絶妙にコントロールしていたりするのだ。
「元々は本書にも載せた、僕がかねてから構想を練ってきた〈図書街〉が原型にある。本の棚が各々連関しながら四通八達する、新アレクサンドリア〈知の神殿〉にも似た巨大都市です。ただしこれを実現するには東京ドーム6杯分は土地が要る(笑い)。今回のスペースは65坪でしたから、その超ミニチュア版です」
とはいえ、4万~5万冊は棚に入るという広大な本の世界。それを切り取る最小単位が例えば〈三冊屋〉だ。
「予め選んだ3冊を特注のバンドで縛って売る商品です。その3冊の“間”に、僕は人間の認知や知的好奇心の秘密が存在すると思っているんですね。たまたま手にした本を、その両隣まで読むと、僕らは一見関係なさそうな3冊の間にも何らかの関係を発見しようとする。
その本と本の間に繋がりを求め、“うつろう”ことに、知の正体はあるのではないか。通常の書店ではジャンル別、版元別など本の都合で本が分類されますが、それを僕らは人と本の関係に合わせて並び替え、棚板で仕切られた一枠の中にも繋がりや浮遊感を実感できる、そんな本屋を形にしたかった」
本書に〈本棚はさまざまな主語と述語をもった世界再生装置〉とあるが、松丸本舗では学術書からポルノまでが一枠に並ぶ本の間をうつろい、関係性に遊ぶことが楽しみの一つ。それら棚の林を歩く間にも客の知的関心は次々に転がされた。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2012年11月23日号