日活時代、ハードボイルドスターとして名を馳せた宍戸錠氏(78)には、多くの女性がアプローチをかけてきた。各ロケ地では、界隈の女性が群がり夜も眠れなかったとか。それは北海道の僻地でも同じだったよう。盟友の二谷英明氏らとの思い出深い一夜を振り返ってくれた。
『メルマガNEWSポストセブンVol.39』に掲載されたプロインタビュアー吉田豪氏による珠玉のインタビューの一部を公開する。
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──日活の仲間、たとえば二谷英明さんとかとはよく一緒に遊んでたみたいですね。
宍戸:英明さんと(小林)旭は同期なんですよ。で、英明さんは一番年上で。
──もともとアナウンサーのキャリアがあって。
宍戸:あれはアナウンサーって言ってるけど、ホントは佐世保の進駐軍の英語のオペレーターだったんです。長崎放送にいたかどうかっていうのはハッキリはわからないの。
──ダハハハハ! そうだったんですか!
宍戸:って俺は疑ってる(笑)。
──ダハハハハ! 二谷さんって、すごい真面目なイメージがあったんですけど…。
宍戸:女性を口説くことに関しては、あいつにかなうヤツはいねえよ(笑)。
──ダハハハハ! 宍戸さんよりですか!
宍戸:俺なんかチャチなもんだよ。三位じゃない。1331人? この野郎っていうぐらいのもんだよ! 裕次郎が怪我して、赤木(圭一郎)が死んでっていうときに、俺たちが一緒に地方ロケに行ったことがあるんですよ。夜、北海道の納沙布岬の北方四島が一番見えるっていう、その旅館の前にキャバレーがあるんですよ、一つ。そこの女の子たちが毎日日替わりで必ず来るんです。泊まってた旅館の戸は鍵付きのドアじゃないから。
──簡単に入ってこられちゃうわけですよね。
宍戸:旅館だから襖にほうきを立てたって無理だよね。だから、寝てるとなんかナイロンの靴下のくせえにおいがするな、おい。なんだろうなって、目をバッと開けると女の子が5、6人ぐらいいる。「えっ、何しに来たの、おまえら?」「見に来たの」「見た?」「見た」「裸も見る?」。
──ダハハハハ! そこでその質問(笑)。
宍戸:「うん、見たい」「よーし、俺も見てえから。いまみんなに電話する。っていうことはヤッてもいいんだな?」「いい」「みんな日活の野郎ってチーケー(ケチ)だから、金持ちはいないから」「そんなんじゃない、俳優さんと一緒にいられるっていうだけで、うれしい」「わかった。(電話して)おい、たー坊(川地民夫)、空いてるかい? いま来てるけど、ヤるぜ。ヤる場所決めろよ」とかね。英明さんはまずヤるよね。向こうが5人いたら俺たちも5人揃えるから。まだ大浴場のお湯を流してるか流してねえかってわかんねえけど、流してねえってわかったら、そこで洗いっこしようぜとか言って、それで俺が一番いい子を最初に決めちゃうの(笑)。あとは持っていけっていうようなことが日常茶飯事で。
──どんな日常だったんですか、それ(笑)。
宍戸:それでも1331人なんだから、こんなもんですよ。
──とある大物の四号さんと関係があったみたいな話を何度かされてた記憶があって。
宍戸:まあ、役者買いが流行ってたわけだよ。育ててやろうとか、そういうのが昔からあるんですよ。これはもう、歌舞伎役者が一番よく知ってらっしゃるかもしれないけど、映画俳優にもたくさんありまして。そういうのは一度、絶対に経験しておかないといけねえなって思うじゃない。だから経験したんだけど、ホントに勃たなくなるわ。金をもらったり、洋服を作ってもらったりしてるとダメなんだよな。金を払う側にならないと勃たないな。だから中途半端になんとなく終わってるっていう(笑)。
<※次号のメルマガNEWSポストセブンに続く>
<宍戸錠氏プロフィール>
ししど・じょう。1933年大阪府生まれ。1954年、日活ニューフェイス第一期生としてトップ合格し、翌55年に『警察日記』でデビュー。タフでハードボイルドな「エースのジョー」として人気を得て、石原裕次郎、小林旭らとともに日活のスターとなる。『拳銃は俺のパスポート』など300本以上の映画に出演してきた。その役者人生を綴った自伝的小説の完結編『シシド 完結編~小説・日活撮影所百周年記念』(角川書店)は11月30日発売予定