引退を余儀なくされたプロ野球選手にとって、現役時代の経験を活かせるコーチという職業は第二の人生にうってつけの仕事。しかし、各チームのコーチの人数は限られており、誰もがなれる職業ではない。引退した選手たちは、どのような形でコーチという仕事にありつくのだろうか? 阪神で打撃コーチを務めた経験のある広澤克実氏はこう語る。
「情けないことではありますが、現在の球界で、コーチになる際に最も力を発揮するのは“人脈”です。指導力の良し悪しよりも、派閥や学閥が重視される傾向にあります」
そのためかつての名選手たちは、再びユニフォームを着るために、自分の持つ“繋がり”をフル活用する。野球選手の場合、それはどう形成されていくのか。野球解説者の江本孟紀氏はこう語る。
「当初は皆、入団した球団の人脈に組み込まれていくが、これに出身大学、高校といった学閥や、出身地などが複雑に絡み合って、独自の派閥が形成される。それが引退後の“就活”に大きく影響してくる」
最も有力なのは、なんといっても監督経験者の派閥だ。楽天・星野仙一監督と野村克也氏は、その領袖としてつとに知られる。
「中日監督時代の星野さんは、中日OBの島野育夫氏(故人)を参謀にして、母校である明大の大先輩・岡田英津也氏をはじめ、加藤安雄氏、高橋三千丈氏ら明大の後輩で周りを固めました。阪神に行ってからも明大OBの平田勝男氏らを可愛がっていた」(スポーツ紙デスク)
ヤクルトを率いて日本一を3度達成した野村ID野球、その門下生も広い球界に散らばる。
「今年でいうと、巨人快進撃の立役者といわれた橋上秀樹戦略コーチ。ただ、橋上が指導者として野村監督の采配に接したのは2006年から楽天のコーチを務めた3年間だけ。野村野球を名乗れば今の球界では重宝がられる、ということでしょうね」(江本氏)
その巨人の原監督の派閥も強力だ。第一次監督期に解任されたときには吉村禎章、村田真一、斎藤雅樹らも揃って退団したが、第二次内閣で再び顔を揃えたこともよく知られている。
こうした人脈がない場合は、涙ぐましい営業努力が必要となる。それが顕著なのが大阪エリアだという。
「皆、阪神に何とか雇ってもらおうとして、中継では口が裂けてもチームや選手の悪口をいわない。例えば、今季阪神のヘッドコーチを務めた有田修三は、現役時代は近鉄や巨人、ダイエーでプレーしており、阪神とは縁もゆかりもないのに、朝日放送で阪神のベタ褒め解説をしているうちに、コーチに収まってしまいましたからね」(江本氏)
「新聞に監督候補と載れば、途端に中元や歳暮が増える」とは野村克也氏の弁だが、ファンの知らないところで凄まじい「売り込み」が行なわれているのだ。
※週刊ポスト2012年11月23日号