今年10月に肺カルチノイドで急逝した流通ジャーナリストの金子哲雄さん(享年41)。金子さんの場合、治療法がないとされるタイプのカルチノイドで、闘病生活も厳しいものだった。
病気が発覚したのは昨年6月。金子さんは「いつ、仕事ができなくなるかわからない」という不安に常にさいなまれながらも、周囲の協力を得て、仕事と闘病を何とか両立させようともがいた。しかし、本人の思いとは裏腹に、体は日に日に弱っていく。7月13日には気をつけていた肺炎にかかってしまう。治療を受けたものの、8月になっても体調はよくならない。すでに立つこともままならなくなっていた。
以下は、金子さんが最後の力を振り絞ってつづった著書『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(小学館)からの引用だ。
〈カルチノイド治療は、想像以上に体力を消耗させていたのだろう。この頃には、食事も1日1食、1人前程度しかとらなくなっていたのだから、落ちてしまった体力を回復する術もない。
私の周囲にも「もっと食べなきゃ」とアドバイスしてくれる人がいたが、そう言われるのは本当につらい。食べなければいけないことはわかっているのだが、それができないのだ。食べると吐き気との戦いも待っていた。
経験して初めてわかることがある。もし皆さんの周りにがん患者がいたら、
「好きにしたらいいよ」と温かく声をかけてほしい。
「がんばれ」という言葉もつらい。
繰り返しになるが、がん治療は想像以上に体力を要する。治療するだけで、十分がんばっているのに、それに輪をかけて「がんばれ」と言われると、「これ以上、がんばれないよ」と言いたくもなる〉
そして8月22日、状態が急変する。
〈8月22日午前7時過ぎ。突如、胸が苦しくなり、いつもの呼吸とはまったく違う状態に陥った。慌てて妻を呼ぶ。
「もう、だめだ」
最悪の事態を覚悟する。しかも、その日の午後は、25日収録予定のフジテレビ『ホンマでっか?TV』の打ち合わせと、読売新聞の取材が予定されていた。妻はすぐに医療コーディネーターのBさんに連絡。取り急ぎの応急措置を尋ね、到着を待った。同時に事務所のMさんにも連絡し、現状を報告してくれた。その日のことは、それ以上、記憶にない〉
※女性セブン2012年11月29日・12月6日号