【著者に訊け】林真理子氏・著/『アスクレピオスの愛人』/新潮社/1680円
主人公は英仏西など数か国語を操る、WHO(世界保健機関)のメディカル・オフィサー〈佐伯志帆子〉。アフリカ奥地や紛争地にも自ら出向き、エボラ出血熱やデング熱といった感染症対策を最前線で指揮する、美貌のエキスパートである。〈しかし白衣を脱いだ夜の彼女は、どこまでも女……〉と帯にあるが、このほど自身初の医療巨編『アスクレピオスの愛人』を上梓した林真理子氏(58)は言う。
「昼間は聖女、なのに夜は大胆で恋多き女とか、男の人の感覚だとそうなるんでしょうけどね。私はむしろ聖女だからこそ大胆、ひたむきゆえに奔放な彼女を、素晴らしいと思うんです」
本書にはモデルがいる。ジュネーブのWHO本部で活躍する、進藤奈邦子氏だ。
「私に“平成の『白い巨塔』”を書けと勧めたある編集者の紹介で初めてお会いしたんですが、本当に色っぽくて、お綺麗な方なんですよ。しかもメディカル・オフィサーと言えば感染症医療では実質ナンバー2の要職ですから、『こんなに立派で完璧な先生、別に私が書かなくてもいいじゃない……』って正直思ったくらい(笑い)。
ただ、本にも書きましたが、彼女が現地で使うメディカルキットを見せてくれて、その中にコンドームがあった。何に使うのか訊いたら『だってアフリカの奥地に何週間もいたら、普通ムラムラしない?』って(笑い)。
その言い方が嫌味がなくて、あ、この人面白いって俄然興味が湧いた。志帆子の私生活はあくまで創作ですが、世界各地を飛び回る彼女を軸に、いろんな医者の日常を書いてみようと」
WHO本部での研修以来、志帆子を慕う公立病院勤務の小児科医〈村岡進也〉もその一人だ。志帆子は現地でも常に男たちの注目の的で、東京でも歴代の研修生が彼女の愛称を冠した〈シーナの会〉を結成するほど。進也など、彼女をシーナと呼べるだけで幸せなのだ。
一方、女性誌等で人気の美容整形医〈斎藤裕一〉にとって、志帆子は7年前に別れた元妻。元CAの後妻〈結花〉は医大生の娘〈れおな〉とも折り合いよく、富裕層に的を絞った病院の経営も順調だ。美容外科をやっかみ半分で見下す周囲は、斎藤が志帆子の元夫だったことを訝るが、手先の器用な彼の選択を彼女は正当に評価できる女だった。
白金ソフィア病院理事長〈小原俊矢〉も、志帆子には同様の印象を持っていた。破綻寸前の病院を次々買収し、目下傘下の私大に医学部創設を目論む彼には何かと黒い噂も多い。が、経営難や医師不足に喘ぐ医学界を彼は彼なりに救おうとし、その理解者が志帆子だった。
〈あなたの俗っぽいところ、いっそ清々しくて私は好きだわ〉と彼女は言い、金でも愛情でもない関係が続いている理由を訊くと〈きまってるじゃない。あなたのセックスがいいからよ〉。それでいて他の男の存在も隠さないのが志帆子なのだ。
「既にお医者さんの間ではモデル探しが始まっているらしく、『あれはどう見てもあの理事長だ』とか『オレのことを勝手に書くなんて、林さん、ひどいよ』とかね。もちろんこれは誰でもない小原や斎藤なんですけど、例えば美容外科医とCAの再婚って結構あるらしいの(笑い)。
そこは典型を無意識に引きあてる作家の本能というか、自分でもそれっぽいディテールを書くのは得意だと思う。今の若い人がお金持ちを書くと妙に嘘っぽかったりしますが、私は私生活でもいろんな人間と付き合ってきたので、医者もお金持ちもそうでない人も書ける。今回も彼らの生理や生活感を参考にできた部分があって、当然元手もかかってますけど、つくづく作家という商売は何をしても無駄がない(笑い)」
●構成/橋本紀子
※週刊ポスト2012年11月30日号