ファンの期待を背に球界の扉を叩く者がいれば、惜しまれつつもチームを去る者がいる。弱肉強食のプロ野球を象徴するのが12球団合同トライアウト(11月9日)だ。過去の実績は一切考慮されず、自らの一球、一振りだけが評価される。その舞台に臨んだ男たち、そして熟慮の末、挑まなかった男たちのドラマを追う。
ここでは、2000年にダイエー(現ソフトバンク)に逆指名(2位)され、今季千葉ロッテに所属した山田秋親(34)について、ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。
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2008年オフにソフトバンクを戦力外となり、2009年は四国・九州アイランドリーグ(独立リーグ)の福岡に所属、同年のトライアウトを受けて千葉ロッテと契約し、念願のNPB復帰を果たした山田。
しかし、それから3シーズン経過後の今オフ、二度目のトライアウトに臨むことになった。彼が歩いてきたいばらの道は、そもそも入団以前から始まっていた。
2000年のドラフト会議を前に、彼の契約金が球界で申し合わせていた新人の契約時における最高標準額「契約金1億円+出来高5000万円」をはるかに上回る「6億5000万円」だとして、コミッショナーを巻き込む大騒動となった。奇しくも今年、同い年である阿部慎之助(現巨人)の契約金も10億円だったと明るみになった。12年が経った今、山田は暗にその事実を認めた。
「金額はそこまでじゃなかったですけど……。僕や慎之助は、当時の大学球界では頭一つ抜けた存在だった。だからもらって当然のような意識があった。勝手な言い分かもしれませんが、自分の中ではそっとしておいて欲しかったし、素直に野球だけを見て欲しかった」
申し合わせの金額以上の契約金を手にした選手は、山田だけではないだろう。
「なぜ自分だけが批判されるのか」
当時山田は、そんな思いに駆られたが、無言を貫く。ついて回った負のイメージを払拭するには、マウンド上での活躍しかない。
ところが2008年には右肩関節唇の手術を行い、MAX153キロを誇った豪腕はなりを潜めた。独立リーグを経る中で、過去の尊大な自分と決別し、ひたすらグラウンドであえぎ、這いつくばる山田がいた。
「実は、今年が一番状態がいいんです。最高146キロが出ましたから。先発が崩れた時のロングリリーフとかなら、活路を見いだせると思います」
その言葉は決して強がりではなかった。トライアウトは投手なら打者4人を相手にカウント1-1から投げ、打者は守備につきながら計7打席に立つシート打撃方式が採用される。
山田は相手打者の胸元にストレートを集め、内野ゴロ2つに1三振1四球に抑えた。だが新天地からの誘いはまだない。
「日本のプロ野球がダメなら、独立リーグでも、海外でもいい。とにかく現役にこだわりたい」
※週刊ポスト2012年11月30日号