引き金を引いたのは、解散表明前日の首相秘書官の一言だった。
それまで野田佳彦首相は離党を防ぐために1年生議員を交互に官邸に呼んで懇談会を開いていたが、突然、官邸から11月13日の懇談のキャンセルが伝えられた。新人議員が理由を尋ねると、首相秘書官の1人は、「もはやそんな段階ではない」と言い放った。このとき、首相は翌日の党首討論での解散表明を決意していた。
「殿、ご乱心だ。選挙に弱いわれわれ新人議員はもうどうなってもいいということかッ」(1年生議員)
党内に動揺が瞬く間に広がった。
民主党執行部は13日の常任幹事会で、「年内解散はさせない」という決議を全会の総意で決定した。常任幹事会は党大会に代わる最高意思決定機関であり、最高顧問の鳩山由紀夫、菅直人の両元首相をはじめ仙谷由人・副代表、輿石東・幹事長、安住淳・幹事長代行ら党役員の多くがメンバーだ。その席で、「解散なら、納得できる人を選ばなければ党が持たない」と野田退陣を求める声が公然と上がった。クーデター勃発である。
追い詰められた野田首相は、総辞職ではなく、解散で民主党ごとぶっ壊す道を選んだ。
「国民に増税を強いたのだから、国会議員も痛みを受けなければならない。衆院の定数削減を確約していただきたい。そうすれば明後日の16日に解散してもいい」
総理大臣が解散の日を事前に表明するのは異例中の異例だが、そうしなければ党内クーデターで総辞職に追い込まれていた。突然、定数削減を持ち出したのは解散の大義名分をつくって自分自身を納得させるためにすぎず、本音は「俺は降ろされたくない」「(解散時期について)これ以上嘘つきと呼ばれたくない」という、バカ……もとい、バカ正直者の個人的な意地でしかなかったのだろう。
※週刊ポスト2012年11月30日号