自分の葬儀を自分でプロデュースし、会葬礼状まで自らしたためていたその最期は、まさに見事というしかない。去る10月、41才という若さで肺カルチノイドのため急逝した流通ジャーナリスト・金子哲雄さん。
死の1か月前から、最後の力を振り絞って書き上げた著書『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(小学館)には、死の準備を整えるまでに、乗り越えなければならない悲しみ、苦しみ、そして何より、最愛の妻を残していくことへの葛藤が綴られていた。
金子さんがパソコンのキーを打ち終えたのが、9月27日のこと。そして翌日の晩、ふたりは妻・稚子さん特製の静岡おでんを食べる。これが最後の食事らしい食事となった。
稚子さんが本の巻末に綴った「あとがき」にはこうある。
<その晩、金子がふと言いました。
「稚ちゃん、……俺、もう厳しいと思う。もうお別れだね」>
大型の台風17号が、日本列島に上陸するかしないかという時で、肺を病んでいる金子さんにとっては、気圧の変化が体に大きく影響してしまう。金子さんの体調は、悪化の一途を辿った。金子さんは稚子さんに告げた。
<「1週間くらい前に死ぬつもりだったけれど、ずいぶん、延びたよ。闘病の記録もまとめられたし、もう終わりだと思う…」
「待ってよ。私の誕生日、明日の29日だって知っているでしょ? お願いだから、自分の誕生日と夫の命日が一緒になるようなことはしないで。それだけは勘弁して」
「わかった。わかったよ、稚ちゃん」>
しかし、別れのカウントダウンは、もう始まっていた。
<実際、9月25日からは、毎日のように液体の医療用麻薬を飲むようになっていました。トイレに行ったり、シャワーを浴びたりなど、血圧の小さな変化に対して、発作のように呼吸不全に陥ってしまうのです。8月22日から体に貼り始めていた、痛みなどを抑えるパッチ(医療用麻薬の貼り薬)の量も、少しずつ増えていました>
ふたりにはわかっていた。
<もう秒読みが始まっているのです。それはお互い、言葉には出さなかったけれど、わかっていました。かける言葉はもうありません。
「がんばれ!」などと、そんな言葉が頭に浮かぶはずもありません。これ以上、何をどうがんばればいいのでしょう? がんばれなどという言葉で、金子を追い詰めたくありませんでした。
「もう、お別れなの?」
「…うん」
「私のことは気にしないでね」
「…うん。ありがとう」>
※女性セブン2012年11月29日・12月6日号