中国共産党は15日、今後5年間の中国の舵取りを担っていく最高指導部である党政治局常務委員7人「チャイナ・セブン」を選出したが、その妻たちのことは案外知られていない。これは共産党が指導者のプライベートなことを一切公表しないからで、このなかには写真も略歴もまったく公表されていない秘密に包まれた妻もいる。
一方で、習近平の妻のように、かつての国民的な大スターで「中国の歌姫」と呼ばれた「美人妻」のほか、大学教授あり、国有銀行の元副頭取、元副首相の娘など多士済々だ。彼女たちの素顔について中国事情に詳しいジャーナリストの相馬勝氏が解説する。
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習近平の妻、彭麗媛については、日本メディアも詳しく報じており、十分知られている。ただ、彼女は1987年9月の結婚当初、廈門(アモイ)市副市長だった習近平の布団に100個所以上も継ぎが当たっていて、あまりにも粗末だったことから、彭麗媛の故郷で、綿花の産地だった山東省の実家に頼んで、上等な布団を購入。それを彭麗媛自身が自ら持参して、夫の自宅まで運んだというエピソードがある。
途中、空港などで布団を背負った彼女を見て、「あれ、歌手の彭麗媛じゃない」とめざとく見つけた人もいたというが、彼女の連れが「何言ってるのよ。あの大スターの彭麗媛が1人で布団を背負っているわけないじゃないの」とぼけてみせて体面を保ったという話もある。
彭は大スターだったため、福建省で働く夫のもとになかなか帰れず、会うのは年に1回、春節(旧正月)だけということもあったというが、このような布団を運ぶのもその罪滅ぼしだったのかもしれない。一時は離婚話も持ち上がったり、いまは仲が冷え切って「仮面夫婦」との噂もあるが、彭も習を熱愛していた時代もあったということだろう。
次期首相が内定している党序列ナンバー2の李克強の妻、程虹は北京首都経貿大の外国語学部教授。専門は英語だが、いまは教壇に立たずに、研究に専念しているという。
名門の清華大学で英語を勉強していたころ、北京大学の中国共産主義青年団(共青団)トップだった李克強と知り合い結婚。李も英語は堪能で、2人は自宅では、英語で会話することもあるとの情報もある。夫人はその後、解放軍の洛陽外国語学院を卒業、中国政府のシンクタンク、社会科学院で博士課程を修了し、文学博士の学位を持っている。
ナンバー3の張徳江・副首相の妻、辛樹森は、国有銀行の中国建設銀行の元副頭取。東北財経大を卒業後、吉林省延吉市で建設銀行の延吉支店に勤めていたところ、同市にある延辺大学で朝鮮語を学んでいた張と出会い結婚。張は学生だったため、そのころの2人は、辛さんの一部屋しかない社宅に住み、経済的に苦しかったという。
その後、張が出世しても、苦しい生活を支えてくれた辛に感謝し、仲睦まじい夫婦として知られている。張は北朝鮮の名門金日成大学に留学、故金正日総書記とも親しいなど、共産主義の権化のようだが、大変な愛妻家だ。
序列4位の兪正声・上海党委書記の妻は、トウ小平時代に副首相や国防相を務めた張愛萍の娘、張志凱。兪の父親の兪啓威も新中国建国後の天津市党委書記を務めた老革命家で、夫婦そろって典型的な太子党(高級幹部子弟)だ。
だが、兪の兄の兪強声は1986年、安全部の外事局長だったが、アメリカに亡命するなど、経歴的には汚点がついたが、トウ小平一家に取り入り、現在の地位を築いたといわれている。
ナンバー5の劉雲山は党政治局常務委員会で思想・宣伝担当で、前職の党政治局員時代にも党宣伝部長を務めるなど党の秘密主義の権化のような幹部だからか、妻の存在はまったく知られていない。
もう一人、妻の情報が皆無なのが、序列7位の張高麗・天津市党委書記の妻だ。張自身は国営の石油会社に入り出世を重ねて、その後、政界に転身し広東省トップ時代、香港ナンバー1の財閥、長江実業グループの李嘉誠・会長と親しくなり、江沢民前主席に紹介したことで、最高指導部入りの糸口をつかんだともいわれている。
最後はナンバー6の王岐山・副首相で、彼の妻は副首相や政治局常務委員を務めた姚依林の娘の姚明珊。2人とも文化大革命時代、北京から下放されていた陝西省延安で知り合い、熱愛の末、結ばれた。
北京に戻ってからは歴史研究に打ち込んだが、姚依林の引きもあって経済を勉強し直し、経済政策で辣腕を振るった朱鎔基・元首相が中央銀行の中国人民銀行総裁時、副総裁を務め経済政策の実務派として名を馳せた。
北京市長時代には新型肺炎SARS対策で実績を残し、副首相時代にも国際金融を担当し、「米中戦略経済対話」や「日中ハイレベル経済対話」の中国側代表を務めるなど、経済政策に明るい。今回の常務委員会での担当は党員の不正を糾弾する党規律検査委員会書記だけに、その経済手腕を惜しむエコノミストも多いという。(文中敬称略)