過去の栄光やプライドをかなぐり捨てても、現役にこだわる男たちがいる。一度は栄光を掴んだはずの彼らは、なぜ身体を痛めつけ、泥にまみれながらも野球を続けるのか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、元中日の佐伯貴弘のケースを紹介する。
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佐伯貴弘(42・元中日)の目に、うっすら光るものがあった。
第2回12球団合同トライアウト(11月21日、千葉県鎌ヶ谷スタジアム)を終えて球場をあとにしようという時、大勢のファンが佐伯を取り囲み、自家用車までたどり着けないのだ。
「1998年からのファンです。がんばってください」
そう言って涙ぐむ女性ファンの姿がある。1998年といえば、横浜ベイスターズが38年ぶりにリーグ制覇し、日本一に輝いた年。プロ入りして18年を横浜で過ごした佐伯にとっても、特別なシーズンだろう。
「辞めないでください」
その日が近づいていることを自覚する者にとって、最も酷なことを口にするファンもいる。
佐伯は2010年オフに横浜を戦力外となり、コーチ就任要請を断ってまで中日に入団した。だが在籍わずか1年でクビになり、今年は浪人生活を送っていた。キャッチボールさえ禁止の市民公園で練習するほかなかった男には、自分の存在価値を認めるファンの声は、堪えられないものだった。
「もし行き場を失ったら、こうやって記者さんに囲まれている姿や、ファンからかけられた言葉を現役最後の日の光景として思い出すんでしょうね」
そして「涙はそれまで取っておきます」と強がった。
投手36人・野手20人が参加した1度目に比べ、この日は投手7人・野手9人という少数参加だった。前回のトライアウトを終えて、契約に結びついたのは楽天に決まった星野智樹(元埼玉西武)やオリックスに決まった松本幸大(元千葉ロッテ)などごくわずか。第2回になればさらに生き残りの道は狭まっていく。
11月11日から3日間、佐伯は千葉ロッテの監督に就任した伊東勤の誘いによって、同球団の鴨川秋季キャンプで入団テストを受験。しかし、不合格に終わった。
「これまで辞めていく人をたくさん見てきましたが、『もっと練習しておけば良かった』『チャンスがもらえなかった』『あれが悪い』『誰が悪い』とみんな必ず言うんです。それが僕は大っ嫌い。野球で積み重ねてきた結果(実績)にはものすごく悔いがありますけど、結果を残すためにやってきたこと、準備してきたことについては何一つ後悔はありません」
初参加のトライアウトでは4打席に入り、2打数1安打(2四球)の結果で終えた。右中間を破る二塁打を放った最後の打席は塁間を全力疾走し、守備に就けば投球の安定しない投手に歩み寄り、一声かけていた。
トライアウト後、佐伯は改めて現役への未練と、現実的な思いを口にした。
「野球を続けられる環境があればまだまだやりたいですけど、こればかりは需要と供給の世界ですから……もしダメだったら、一区切りつけようと思います」
野球界への未練を断ち切ることも、潔く身を引くことも、今の佐伯にはできないことなのだ。
※週刊ポスト2012年12月7日号