過去の栄光やプライドをかなぐり捨てても、現役にこだわる男たちがいる。一度は栄光を掴んだはずの彼らは、なぜ身体を痛めつけ、泥にまみれながらも野球を続けるのか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、元日ハム・木田優夫のケースを紹介する。
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11月9日に行われた第1回トライアウトを受けたベテランたちの中に、獲得の目安期限である1週間を過ぎた今も、ひたすら連絡を待ち続ける者がいる。
今季、北海道日本ハムファイターズに所属していた木田優夫(44)だ。目下に時計台を、遠くに札幌ドームを眺めるホテルの一室にやってきた木田は、物静かに状況を説明し始めた。
「ファイターズを戦力外となってから1週間もなかったので、トライアウトの時点では心の整理がついていなかったんです。今は野球を続けたい気持ちがどんどんどんどん強くなってきているんですけど……まだ連絡はありません」
北海道で小学生時代を過ごした木田にとって、この地を本拠地とする日ハムは野球人としての最終章を飾るにどこよりも相応しい球団だった。
1998年に初めてアメリカに挑戦する際に相談にのってもらい、以降、尊敬する先輩として付き合ってきた栗山英樹が監督に就任した今季は、例年以上に期する気持ちを膨らませていた。ところがわずか1試合の1軍登板に終わり、多くの時間を2軍施設のある千葉県の鎌ヶ谷で過ごした。
木田はこれまで、一度も「引退」を考えたことがない。引き際を自分で設定できないからこそ、信頼を寄せる人間から「十分やったのではないか」「もう無理だ」と声をかけられた時が、潮時とも決めていた。
「同年代の金本知憲や小久保裕紀が引退しましたけど、日本球界で偉大な成績を残した彼らは自ら『引退』を口にできる立場の人間。僕はそうじゃない」
日ハムが日本シリーズを終えたすぐ後、木田は栗山に呼ばれた。いよいよ引退を勧告されるかもしれない。 そう覚悟した。いや、そういう言葉を、誰より木田が待っていたのかもしれない。だが、栗山の言葉は意外なものだった。
「ファイターズの監督としては、一緒にはできない。だけど、個人的な関係に戻った立場でいえば、現役を続けて欲しい」
もうひとり、日ハムには木田の恩人がいる。チーム統括本部長を務める吉村浩だ。彼は木田がデトロイト・タイガースに所属した時、同球団のフロントにいた人物。日ハムにも誘ってくれた吉村に電話を入れ、木田は揺れる胸中を明かした。
「これまで戦力外通告を受けた時と今年は状況が違う。でも、お世話になった吉村さんに今後のことを相談しているうちに、再び現役を続けるという気持ちが盛り上がってきちゃったんです。トライアウト受験は吉村さんに勧められました。受験する行為が、現役続行の意思表示になる、と」
※週刊ポスト2012年12月7日号