石原慎太郎・前東京都知事が代表を務める太陽の党と合併した日本維新の会について新聞などでは厳しい評価が多い。しかしそれは言葉遊びにすぎないのではないかとジャーナリストの長谷川幸洋氏は指摘する。以下は長谷川氏の解説だ。
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今回の合併について、たとえば朝日新聞は「政策のすりあわせは置き去りにされた。(中略)橋下(徹)氏が繰り返し主張してきた『2030年代までに原発をゼロにする』という文言はおろか『脱原発』の文字すら見あたらない(中略)突然の解散・総選挙に対応しようと急いだためだが、その付け焼き刃ぶりは隠しようがない」(11月18日付)と書いた。
東京新聞も「橋下氏が、慎重な石原氏に配慮して譲歩し、当たり障りのない表現となった」(19日付)と橋下が妥協したという見立てである。
はたしてそうか。私は焦点の原発問題について「政策のすりあわせができていない」とか「橋下が妥協した」とは、まったく思わない。むしろ逆である。太陽の党側が「橋下に押し切られた」というのが実態ではないか。
まず事実関係をみよう。先週、書いたように政治分析は公開文書を読むのが基本である。合意文書は6番目に「新しいエネルギー需給体制の構築」を掲げ、こう記している。原発→【1】ルールの構築(ア)安全基準(イ)安全確認体制(規制委員・規制庁、事業主)(ウ)使用済み核燃料(エ)責任の所在【2】電力市場の自由化。
ここには、たしかに「原発ゼロ」とか「脱原発」の文字はない。しかし、それは本来、ただのスローガンである。脱原発を目指すなら、どこをどういう風に改め、新たな体制を作っていくのかが問題になる。そうした作業はもちろん法改正や新法制定を伴う。
そうだとすると、安全基準や安全確認体制作り、電力自由化などで石原、橋下が合意したのはスローガンから一歩踏み出して、政策の中身に踏み込んだと評価できる。それこそがリアルな政策課題であるからだ。
とりわけ重要なのは使用済み核燃料にも言及した点である。世界を見渡しても、いま使用済み核燃料を半永久的に保存できる場所はない。地震国、日本はなおさらだ。
日本学術会議が数十年から数百年程度の暫定保管(モラトリアム)を提言したのも、現在の科学水準ではプルトニウムが無害化するまで10万年の安全を保証できず、かつ最終処分地も見つけられないからだ。
出口なき使用済み核燃料問題に真正面から向き合えば、結論はおのずと明白になる。原発はできるだけ早く止めるしかない。逆に言えば、原発を続けるには使用済み核燃料を処理できるかのような幻想をふりまく以外になかったから、この問題から目をそむけ続けてきたのだ。
使用済み核燃料を含めて合意が「ルールを構築する」と宣言したのは、新聞が言うように「脱原発をあいまいにした」のではなく「脱原発以外に選択の余地をなくした」と言える。言葉だけのスローガンよりも、推進派に厳しいハードルを設けた形である。
実際の合併交渉でも、11月上旬の時点で維新側との協議に臨んだ、たちあがれ日本の平沼赳夫代表や園田博之幹事長は「ベタ折れだった」と聞いている。「橋下が妥協した」というのは事実としても違うのではないか。
新聞はよく「言葉だけでなく具体的な中身を」と政治家に注文する。ところが、今回のように単純な言葉を削って中身を提示すると、今度は「妥協した」という。私に言わせれば、マッチポンプもいいところだ。政策の中身を評価せずに、安易な言葉遊びをしているのは新聞のほうではないか。(文中敬称略)
【プロフィール】
●はせがわ・ゆきひろ:東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年千葉県生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。政府税制調査会委員などを歴任し、現在は大阪市人事監察委員会委員長も務める。
※週刊ポスト2012年12月7日号