就職活動シーズンが近づいてきた。若者たちがどのように社会へ飛び出すかを決める重要な時期だ。若者に、“リスクをとれ”と語るのは、作家の落合信彦氏だ。以下、氏による若者へのエールである。
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リスクを取り、傷つくことを恐れない人生は美しく、エキサイティングなものだ。具体的なイメージが持てないなら、まず手本となるロール・モデルを探すことから始めるのがよい。
若き日の私にとってのロール・モデルは、アメリカで出会ったロバート・“ボビー”・ケネディであった。ボビーは第35代アメリカ大統領、ジョン・F・ケネディの弟であり、JFK政権の司法長官を務めた人物だ。
私はアメリカでオイル・ビジネスをしていた当時、1968年に民主党の大統領選挙予備選に名乗りを上げたボビーの選挙スタッフをした。ベトナム撤退や人種差別の廃絶を訴えたボビーの選挙活動は情熱に満ちたものだった。
よく覚えているのは、ハーレムに住む老婆が「死ぬ前にどうしてもロバート・ケネディに一目会いたい」と手紙を出してきた時、ボビーがボディーガードもつけず会いに行った時のことだ。当時、ハーレムを警護なしで歩ける白人などボビー以外にいなかった。治安はたしかに悪かったが、逆に言えばそれだけボビーが黒人たちから愛されていたということだ。
私のほか数人のボランティアがついていったのだが、床に横たわる老婆はボビーを見ると涙を流して喜び、「もう死んでもいい」と呟いた。ボビーは、「素晴らしい明日があるかもしれないのに、死ぬなどと言ってはいけない」と返した。差別のない、輝かしいアメリカの未来を実現してみせるという決意に聞こえた。理想と情熱を持ったボビーは何も恐れなかったのだ。
ボビーはその数か月後、民主党の候補者指名を確実にする中で、凶弾に斃れた。だが、その志や姿勢は多くの人の心を動かしたし、私自身、その後の人生のお手本としてきた。リスクを取る生き方は周囲の人間に感銘を与え、本人には誇りや自信を植え付ける。
日本にはロール・モデルになるような指導者はなかなか見当たらないが、何も政治家に限定する必要はない。今でこそ米大リーグで多くの日本人プレーヤーが活躍しているが、パイオニアとしてその道を拓いた野茂英雄が私の頭にまず思い浮かぶ。日本での所属球団と対立した野茂は、「もう二度と日本で野球はできない」という状況の中で渡米した。
独特のトルネード投法から繰り出されるストレートと決め球のフォークボールでメジャーの打者たちを次々と仕留め、新人王と奪三振王を獲得。ポーカー・フェースのサムライに、全米が熱狂した痛快な記憶は今も鮮明だ。
渡米1年目の年俸は日本にいた時代の10分の1以下。それでも野茂は夢のためにリスクを取る道を選んだ。
今年シアトル・マリナーズからニューヨーク・ヤンキースに移籍し、見事な結果を残しつつもワールドシリーズを目前に涙をのんだイチローの生き方にも私は強く感銘を受けた。
デトロイト・タイガース相手に沈黙する打線の中で孤軍奮闘の活躍を見せたイチローに、目の肥えたニューヨークのファンたちは惜しみない称賛を送った。39歳のイチローは11年間プレーしたシアトルの慣れ親しんだ環境を捨て去り、リスクを取ったのだ。
ニューヨークはファンも球団もシビアで、不調ならば放出は免れない。しかも移籍にあたっては控えに回る可能性などの条件が突き付けられた。それでもイチローはワールド・チャンピオンになる可能性に賭けた。チームは敗退したが、イチロー個人は見事に結果を出して見せた。「今の自分」を守るのではなく、「将来の自分」の可能性に賭ける姿勢だ。「若さ」は年齢の問題ではない。
人生というギャンブルで、リスクを取って勝負できるのであれば、精神に若さがある証拠である。目先のリスク回避に汲々とする生き方では、たとえ歳が若くてもそれは老人の精神だ。
※SAPIO2012年12月号