過去の栄光やプライドをかなぐり捨てても、現役にこだわる男たちがいる。一度は栄光を掴んだはずの彼らは、なぜ身体を痛めつけ、泥にまみれながらも野球を続けるのか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、元・埼玉西武ライオンズで来季から千葉ロッテマリーンズでプレーするG.G.佐藤にインタビューした。柳川氏は北海道日本ハムファイターズを解雇された木田優夫による「自分からは辞められない」という話をG.G.にした。
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「自分からは辞められない」という元・北海道日本ハムファイターズの木田優夫(44)の覚悟を聞いて、苦笑したのが、元・埼玉西武ライオンズのG.G.佐藤(34)だった。
今季、イタリアのプロ野球球団「ボローニャ」に所属していた彼は、オーダーメイドのスーツを着こなしネクタイを締め、まるで映画『メジャーリーグ』出演時のチャーリー・シーンのような出で立ちで現れた。
「木田さんはまだやるんですか? もう十分な実績を残されているじゃないですか。僕などに比べたら大往生でしょう」
詳細は省くが、佐藤は8月下旬、ボローニャの遠征に帯同しなかったことを理由に、一方的に解雇を通告されてしまう。
日本に戻った佐藤は富山のクラブチーム「ロキテクノ」に活躍の場を移すも、プロを見据えての所属ではなかった。
「野球との接点を絶ってしまいたくはなかったので一応は所属しました。イタリアの野球が楽しかったですし、ボローニャを解雇されたことで、もう十分野球はやりきったなと。だから合同トライアウトも受けなかったんです」
ところが11月に入ってすぐ、千葉ロッテの監督に就任したばかりの伊東勤から入団テストの誘いを受ける。伊東は、アメリカ・マイナーリーグに挑戦していた佐藤が西武の入団テストを受けた(その結果によって2003年ドラフト7位で入団した)時の指揮官でもあった。
「恩師の好意に報いたいという気持ちに加えて、ロッテの本拠地である千葉は、自分の地元なんです。ところが自分の野球人生を振り返った時に、千葉で野球をやれていない。中学時代は野村沙知代さんがオーナーだった神奈川の港東ムースでやっていましたし、高校も神奈川の桐蔭学園で、大学が法政。その後もアメリカ、埼玉、イタリアですからね。野球人生の最後を千葉でやれたら最高だなと。それで消えかけていた野球の炎が改めて点火したんです」
わずか10日の調整期間だけで、11日からのテストに臨んだ。紅白戦では決勝タイムリーを放つなど、結果を残した。同じくテストを受けた佐伯貴弘(元中日)は不合格となったが、11月22日現在、佐藤の合否は発表されていない(編注:11月25日にロッテが佐藤の獲得を発表)。
「自分がプロだった頃は、お金も稼がないといけないし、日々のプレッシャーも強かった。そんな生活だとだんだん野球が好きという気持ちを忘れていきました」
佐藤を有名にしたのは、北京五輪での珍プレーだった。準決勝、3位決定戦で、守り慣れていないレフトについていた佐藤は、チームを敗戦に導くエラーを3つも犯してしまう。
「あまり記憶がないんですけど、一度目のエラーをして、『もうこんなミスはできない』と思っちゃった。守っている間、ずっと『飛んでくるな』と本気で思っていたんですが、また飛んできて……G.G.佐藤の大きな1ページですね。良くも悪くも僕を有名にしてくれましたから」
そういう呪縛から解き放たれたのがイタリアでの経験だった。プロとは名ばかりで、イタリアの選手のほとんどが副業を持っていた。
「彼らはただ好きだという気持ちだけで、野球をやっているんです。イタリアの野球を経験し、一度は引退を決意したことで、気楽なままテストにも臨めた。それが好結果につながったんだと思います」
故郷に錦を飾れるか。
※週刊ポスト2012年12月7日号