【著者に訊け】川村元気氏・著/『世界から猫が消えたなら』/マガジンハウス/1470円
あえて想像してみる。〈世界から、もし猫が突然消えたとしたら。この世界はどう変化し、僕の人生はどう変わるのだろう〉……。『世界から猫が消えたなら』、通称“世界猫”の著者、川村元気氏(33)は言う。
「または電話、映画、時計など、ある人にはないならないで済むものが、ある人にはそれなしで生きていけないくらい大切なことって、結構あると思うんですよ。これはそういう自分にとっての“猫”を見つける話です。何かの不在や喪失を通じて価値や意味を考える考え方が、今の僕には一番しっくりくるんです」
それは、悪魔のささやきだった。
〈この世界からひとつだけ何かを消す。その代わりにあなたは1日の命を得ることができるんです〉
脳腫瘍で明日をも知れぬ命だと宣告された〈僕〉は取引に応じることにした。アロハシャツに短パン姿で〈アタシ、悪魔っす!〉とかる~いノリで話す、僕に瓜二つな悪魔との取引に。自分には何が本当に必要で、人生に何の意味があるのか――。そう。想像するにも、きっかけが要るのだ。
『電車男』『モテキ』『告白』など話題作を続々手がける人気映画プロデューサーが、初小説を書いたきっかけも実は映画。『悪人』で原作・脚本を担当した芥川賞作家、吉田修一氏と作業を進める中で、小説と映画にできることの違いに興味を持ったことが大きいという。
「例えば映画では妻夫木聡さん演じる主人公の祐一が“苛立っている”と書いちゃいけないんですね。祐一が顔を顰めたとか黙るとか、行為を書くのが映画の脚本で、苛立っている、は映らないからダメなんです。一方“世界から猫が消えた”と書けば、たった一行で猫のいない世界を表現できるのが小説で、その不在や不足を、読者との共犯関係が埋めていくのが面白い。
映画では泣く泣くあるシーンを切ると別のシーンが俄然輝いたり、その前後のシーンを“ないのにある”と観客が感じてくれることがある。それこそ今回のテーマ〈何かを得るためには、何かを失わなくてはならない〉のだと日々実感するところ。本書でも著者川村の文章をプロデューサー川村が編集していて、言葉を尽くして描き切るのが小説家の小説だとすれば、余白や空白に自覚的なのが映画人の小説かもしれません」
特に本作はテーマがテーマだけに匿名性や寓話性に留意したといい、名前があるのは僕が母親から託された愛猫〈キャベツ〉と先代の〈レタス〉だけ。レタスが死んだ後、母が死に、残されたキャベツと暮らす郵便配達員で30歳の僕までが今まさに死の宣告を受ける。
といって特に泣き叫ぶでもなく、以前観た映画風に〈死ぬまでにしたい10のこと〉を書いてはみたが、思いつくのは〈スカイダイビング〉〈恋がしたい〉など下らないことばかり。〈中学生じゃないんだから!〉と、いきなり現れた悪魔にバカにされ、こう囁かれたのである。〈そんなあなたにビッグチャンス〉〈創世記って知ってます?〉
つまり神が1週間で天地を創造した全工程を〈隣で見てたもん〉と言う彼こそ実は、アダムらに禁断の実を食べるよう唆した張本人。楽園を追われた人間は以来争奪を繰り返し、〈いるかいらないか分からないもの〉を際限なく作り始めたのだという。〈だからアタシ提案したんすよ、神さんに〉〈人間が何かを消したら、その代わりにそいつの寿命を1日延ばしてやるって。その権利をもらったんです〉
創世記の逆をゆく1日目、悪魔が選んだのは電話だ。最後に一度だけかけられる電話の相手を携帯に探し、ハッとする。〈僕と関係があったようで、まるで関係がなかった無数の人たち〉〈あまたある番号のなかで記憶している番号などない〉
「これは僕も愕然としたんです。携帯一つ落としただけで知人も友人もいないも同然になってしまう自分に。あとは自分の葬式に誰が来て、誰が泣いてくれるのか、とかね。別に泣かなくてもと特に女性は言うけど、やっぱり男って誰かに泣いてほしいんですよ(笑い)。
そうやって自分や大切な人のいない世界を想像すると、本当にやるべきことの優先順位が見えてくるし、これから人生の半分かけて死んでいく僕自身、それを確かめたかった。年齢的にはまだ33ですけど、僕の場合は映画を作る過程でいろんな人生を引き受けちゃった部分があって、『悪人』で言えば祐一や樹木希林さん演じる彼の祖母、深津絵里さん演じるヒロイン光代の、映画に映し出されなかった前後の人生まで自分の中に巣食っている。だから実年齢以上に中身が老けちゃうんだと思います(笑い)」
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2012年12月7日号