中国では11月15日、共産党の最高指導部人事が発表され、習近平体制が正式にスタートしたが、党人事と歩調を合わせるように、中国人民解放軍の最高指導部もほぼ総入れ替わりに近い史上最大規模の人事異動が行なわれた。党大会では党中央軍事委員会主席に居座るとみられていた胡錦濤主席が退き、習近平国家副主席が軍のトップに就任したことで、軍も習近平体制への移行を鮮明にしたといえよう。中国情勢に詳しいジャーナリストの相馬勝氏が解説する。
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共産党最高指導部人事が発表された翌日の11月16日、党中央軍事委員会拡大会議が開催され、胡主席が軍指導部の前で最後の演説を行なったあと、習副主席が胡主席の労をねぎらって、「胡主席は党、国家、軍を発展させるという重要な決定を行った」などとして、胡主席を「マルクスレーニン主義を体現した政治家、戦略家」として讃えた。この拡大会議は軍を引退した胡主席の「さよならパーティ」とでも位置づけられよう。
その証拠に、習氏は24日、党中央軍事主席の肩書きで、上将昇格式を行ない、軍の第2砲兵(戦略ミサイル部隊)トップの魏鳳和司令官に上将昇格の命令状を手渡した。中国では国家と党それぞれに中央軍事委員会がおかれており人事的にはほぼ重なっているが、胡主席は依然として国家中央軍事委主席の座にあるにもかかわらず、党中央軍事主席に就任したばかりの習氏が上将任命式を主宰するのは極めて異例。習氏は自らが軍権を握ったことを誇示する狙いがあったとみられる。
さらに、中国海軍所属の空母「遼寧」の艦載機「殲15」の開発現場の総指揮を執っていた羅陽開発本部長が25日に大連で任務遂行中に病気で急逝したことを受け、習氏が羅氏の業績を称える重要指示を出すなど、軍トップとして立場を強調する言動が目立っている。
特に、党大会の1週間前から党大会後までのほぼ2週間で、解放軍の中枢を占める2人の軍事委副主席ポストや空軍やミサイル戦略舞台、軍の四総部トップに加え、7大軍区中5軍区のトップなど主要22ポストの人事異動を発表するなど、これほど大幅な最高指導部人事は史上最大規模だ。
このなかには、明らかに習氏と親しい太子党(高級幹部子弟)勢力や習氏が推薦したとみられる幹部が多数含まれている。たとえば、軍事委副主席の範長龍氏や総後勤部長の長克石氏、総装備部長の張又侠、空軍司令員の馬暁天氏など。
このほかにも、今回の人事の対象にはならなかったが、劉源・総後勤部政治委員や張海陽・戦略ミサイル部隊政治委員ら軍内には太子党勢力の高級幹部は、100人は下らないといわれる。
さらに、尖閣問題に絡んで日本にとって不気味なのは、尖閣諸島海域にほとんど毎日、監視船を出動させている国家海洋局の存在だ。そのトップの劉賜貴局長は福建省泉州の出身で、習氏が福建省長を務めていた2000~2002年の約2年間、福建省海洋・漁業局長のポストにあり、習氏とは縁浅からぬ関係といえよう。劉氏はその後、厦門(アモイ)市長を務めたあと、昨年2月に海洋局長に転じており、執拗な海洋監視船の尖閣諸島海域への出没も習氏の指示との見方もできよう。
習氏は8月から9月にかけての激しい反日運動の黒幕とみられており、軍権掌握を進める過程で、軍事的に強硬な対日方針をとることも否定できないだろう。