今年もこの季節がやってきた。オフを迎えた球界が最も盛り上がる、「契約更改」である。個人事業主である選手にとって、契約更改は生活を守るための戦いだ。実際にも歴代の勇士たちは、球団事務所という「戦場」で様々なドラマを演じてきた。
西武の黄金期を支えた東尾修は、1986年オフの契約更改で、投手として初めて1億円プレーヤーになった。球団の提示は9900万円だったが、東尾は坂井保之・球団代表(当時)に対して「残りの100万円は自分で出してでも、最初の1億円投手と呼ばれたい」と交渉した。
いわば“泣き落とし”である。だが、その後東尾は、「ああいえば球団にもプライドがあるから、上げてくれるんだよ」と語っていたという。さすがは“技巧派”である。
その西武で同じく1億円プレーヤーになった清原和博は、プロ入り4年目での快挙達成の際、提示された金額を机の下で確認し、ゼロが8個ついているのを2回確かめた。そして、「相手の気持ちが変わらないうちにと、急いでハンコを押した」という逸話が残る。
「空白の一日」を使って巨人に入団した江川卓は、3年目、2年連続で最多勝のタイトルを手にしたものの、期待外れの提示額に、こんな皮肉を口にした。「世間のイメージというものは、契約更改にも影響するんですかね」
提示額に不服な場合、ゴネる選手も毎年恒例。有名だったのが中日時代の福留孝介だ。1999年入団後、しばらく順調に更改を重ねてきたが、2005年あたりからゴネ始めた。その際には数々の“名言”を残している。曰く、
「年俸が上がらないから車が買えない」
「井端が1回ゴネて3000万上がるのはおかしい」
また、ロッテ・諸積兼司は2004年、他のBクラス球団(ロッテはこの年4位)で自分の成績に近い25選手の年俸リストを自ら作成して更改に臨んだが、前年から約20%ダウンの提示を受ける。この時は「おかしい……こんなことは許されない……」という発言を残している。
※週刊ポスト2012年12月14日号