江戸前鮨の代名詞は何かと聞かれれば、「コハダ」だと断言する職人は多い。瑞々しく輝くその姿は数ある鮨ダネの中でも特に美しいものだ。
このコハダがとりわけ職人たちに愛されている理由は、「鮨になることで初めて旨さの極みに達する」という特性にある。
コハダは出世魚で、シンコ(全長5cm程度まで)→コハダ(7~10cm程度)→ナカズミ(13cm程度)→コノシロ(15cm程度から)と成長していく。いわばコノシロの若魚である。コノシロといえば「煮ても焼いても食えない魚」と蔑まれていた時代もあった。
東京・新橋の名店『第三春美鮨』店主、長山一夫氏はいう。
「コハダは、酢と塩で締めることで、えもいわれぬ旨味を引き出すことができる。いわば酢と塩の絶妙な塩梅を楽しむ魚なんです。また酢飯のふくよかな甘みと非常に相性がいい。職人の仕事によってあれほど独特の旨味を引き出すことができる魚は他にはありません」
コハダの仕込みは、頭や内臓を取り除いて開き、皮目を下にして並べることから始まる。次に振り塩。塩がまわったら、塩を洗い流して水を切る。そして切り身を1度酢で洗ってから、さらに酢に漬けて寝かせる。
「振り塩の量など仕込みの加減は、魚の大きさ、脂の乗り、季節によって経験をもとに変えていきます。旨さのとらえ方は職人によってそれぞれですので、酢に漬けておく時間は店によって違いがあります」(長山氏)
第三春美鮨でも、魚の質の変化や時代の変遷とともに、様々な試行錯誤を重ねてきた。「最近は、酢の香りが引き立つような仕込みを目指している」と長山氏は語る。使う酢は赤酢。熟成させた酒粕を原料とする赤酢のほうが、さらりとした米酢(白酢)よりもコハダの濃厚な旨みが引き出せるのだとか。
撮影■横田紋子
※週刊ポスト2012年12月14日号