「了解しました」――会社で頻繁に耳にする言葉だが、実は、目上の人に使うにはふさわしくない言葉なのだという。われらタテ社会の「ひっかかる言葉」を、作家の山藤章一郎氏が考察する。
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いまや、オフィスにも、メールにも、猫にも杓子にも「了解」がのし歩いている。メールで〈り〉と打てば〈了解〉と転じ、部下が上司に〈了解〉を連発する。
上司「これ明日までに頼みます」
部下「了解しました」
「りょうかい【了解 諒解】
1:物事の意味・内容・事情などを理解すること。
2:理解した上で承認すること。
近年、目上の人の依頼、希望、命令などを承諾する意に使う向きもあるが、慣用になじまない。(ぶっきらぼうで敬意が不足)『分かりました』『承知しました』のほか『かしこまりました』『承りました』などを使いたい」
『明鏡国語辞典 第二版』(大修館書店)のただし書きである。
「ぶっきらぼうで敬意が不足」
10年前の同じ辞典の第一版には、ない。二版にわざわざ挿入されている。
〈ポライトネス〉という理論がある。対人関係を円滑にするための〈社会的言語行動〉をいう。敬語などがとくに、円滑をみちびく。〈ポライトネス〉に依れば〈了解〉は、対人関係の非円滑用語となる。不快を、強く訴える人もいる。
「了解」「了解です」「了解しました」――これがなぜ、組織、会社、目上、上司に「なじまず」配慮に欠けるのか。
日本語は、面倒くさくすれば敬意を高めるという性質を持つ。
〈拍〉が少ないと軽い侮りさえあたえかねない。「了解いたしました」といえば〈4拍〉になる。〈2拍〉の倍の敬意である。
ところが、倍の敬意を表そうとしても〈了解〉は、「よろしい」と許可をあたえる時の大門部長刑事の使い方が本義である。
それを部下が上司になり代わって使うと、「です」をつけようと「しました」を足そうと、オレを軽く見てるのか、と上司、先輩は思う。
少し、詳しくいう。部下は上司から〈依頼〉〈命令〉をあたえられる。すると部下は、意味を考え、咀嚼し、理解=understandして、肯定して、声を発する。「了解」と。いわれた上司は思い屈する。「きみはな、理解しなくていい。私は、ヤレと命令してる。考えるヒマがあったら、すぐ実践せよ」
『家政婦のミタ』は記憶に新しい。崩壊寸前の阿須田家の家政婦・松嶋菜々子は、家族の者に命ぜられると口が裂けても「了解です」とはいわなかった。「承知しました」
※週刊ポスト2012年12月14日号