ドラフト直後の記者会見で、高校球界屈指の右腕・大谷翔平(花巻東)は「評価は感謝しますが、日本球団入団の可能性はゼロ」とまで言い切っていた。 ここにきての心変わりには何があったのか。スポーツ紙の記者が語る。
「元々、大谷の両親は言葉の壁や人種差別を懸念して息子のメジャー挑戦には反対でした。日ハムが意志の固い本人よりも両親を説得したことが功を奏したようです」
日ハムが3回目の交渉で両親に手渡した資料がある。『大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~』と題されたA4判25枚に及ぶプレゼン資料だ。
資料では、韓国の高校からメジャーを目指した選手やアマチュアからマイナー契約した日本人選手をリストアップし、詳細なデータ分析をしたうえで、いかに結果を残せていないかをレポートした。
「嫌でも厳しい現実を突きつけられる。その上で、マイナー契約ではなく、プロ野球で結果を出してからメジャー契約する方がベストだと説き伏せました。わが子の将来を心配する父の徹氏が『息子に資料を見せたい』と考えたのは当然ですが、結果的には日ハムの思惑通りになった」(スポーツ紙記者)
高卒からのメジャー挑戦の厳しさをデータで見せられた大谷本人に迷いが生じたことは確かだ。花巻東関係者が語る。
「花巻東の先輩でメジャー志望だった菊池雄星(西武)が『言葉の壁があり、リスクばかり考えてしまった』と心変わりした話を人づてに聞いたり、ダルビッシュのメジャー1年目を特集したNHKのドキュメントを見て、『あの人ですら体力や技術の壁で悩んでいたのか』と気づいたりしたことで、現実を受け入れるようになってきたようです」
※週刊ポスト2012年12月21・28日号