【書評】『誰も知らなかったココ・シャネル』(ハル・ヴォーン著/赤根洋子訳/文藝春秋 /1995円)
【評者】福田ますみ(フリーライター)
ココ・シャネルは、1971年に87才で亡くなるその前日まで、春のコレクションの準備をしていたという。それほどまでに仕事に打ち込んでいた彼女が完全に休業していた時期がある。第二次世界大戦が始まった1939年から終戦後の1954年までの15年間だ。
かくも長い間、彼女は何をしていたのか?
彼女の死後、その噂は広まり始めた。フランスは1940年から1944年までドイツの占領下にあったが、シャネルはこの占領時代、あるドイツ人男性と愛人関係にあった。この男はディンクラーゲ男爵といい、ドイツ王族の血を引くハンサムな貴公子で、シャネルは彼にぞっこんだった。
ところが彼は、ドイツ諜報機関の大物スパイで、シャネルも協力者だったというのである。この黒い噂は真偽がはっきりしないまま、その後も長く囁かれ続けた。
本書の著者ハル・ヴォーンこそ、この噂に終止符を打った人物である。彼はフランスの公文書館で偶然、フランス警察の報告書を発見した。なんとそこには、ドイツ軍情報部のエージェントとしてのシャネルの名前が、エージェント番号及びコードネームとともに記されてあったのである。シャネルは、ドイツのスパイと寝ていたどころか、彼女自身がナチスのれっきとしたスパイだったのだ。
ナチスがシャネルに目をつけたのは、彼女が時のイギリス首相チャーチルやウィンザー公など、イギリスのトップときわめて親しかったからである。大戦末期、一部のナチス高官は、イギリスとの単独講和を模索するため、シャネルを、チャーチルとの仲介役としてスペインに送り込んだ。
「いや彼女は単にディンクラーゲに愛されたかっただけで、それをナチスに利用されたに過ぎない」――シャネルの擁護者はそう言う。
しかし本書を読んで実感するのは、シャネルがむしろ確信犯的にナチスに協力した事実である。なぜなら彼女は筋金入りのソ連嫌い、ユダヤ人嫌いで、共産主義の浸透を防ぐために、ドイツとイギリスが協力する必要があると信じていたからだ。
連合軍によってフランスが解放されるとシャネルは逮捕されるが、チャーチルの計らいで釈放された。その後、スイスに亡命して嵐が過ぎるのを待ち1954年にファッション界にカムバックした。数々の栄光に彩られたモードの女王が持つ秘密の顔。その顔が徐々に暴かれる過程に興奮する。
※女性セブン2012年12月20日号