【著者に訊け】越智月子氏・著/『スーパー女優A子の叫び』/小学館/1470円
この物語の主演は〈わたくしに素顔なぞいりません〉と宣う、往年のスタア〈清宮朝子〉。かつてはその気品あふれる美貌から〈永遠の処女〉と呼ばれ、30歳で忽然と表舞台から姿を消した、伝説の大女優だ。越智さんはこう語る。
「外見のイメージは銀幕を去って50年が経つ原節子さん、でも中身は完全な創作です。今と違って“スタアがスタアを生きた時代”の“ザ・女優”。今となっては絶滅危惧種に近くなってしまった芸に賭ける女を書いてみました」
昭和22年、映画『虚飾の宴』で華族の令嬢役に抜擢された彼女は以来役名の朝子を名乗り、昭和を代表する監督〈島津源五郎〉と数々の名作を世に送り出した。越智月子氏の新刊『スーパー女優A子の叫び』はそんな謎多き女優の半生を、〈『清宮朝子を捜して』〉というドキュメンタリー特番の制作過程を通じて追う。
進行役には朝子を大叔母に持つ〈清宮凛子〉が抜擢されるが、母親でマネージャーの〈山田祥子〉は心中複雑だ。それもそのはず、朝子の姉の娘として育てられた祥子は、永遠の処女が産むはずもない、実の娘なのだから。
越智氏は2006年に小説家デビュー。ことに『モンスターU子の嘘』(2012年)では、稀代の悪女・詩子の実像をめぐって戦後政財界の暗部を描き、話題を呼んだ。
「女は生まれながらにして女優だとも言うし、化粧や相手次第で幾らでも化けられる。女の本当の顔なんて、そもそもわからない以前に、ないんじゃないかな。今回のA子にしても、実像がなかなかわからないという点は同じ、簡単にわかってしまうと、魅力も半減するような気がするんです」
本書でも朝子の存在は既にしてミステリー的で、周囲の目から語られる朝子像に実際の日本映画界の戦後史を絡めつつ、虚々実々のドラマが展開する。戦後全ての映画はGHQの文化政策を担ったCIE(民間情報教育局)の検閲下で制作され、朝子はそんな時代が生んだスタアともいえた。
彼女の日本人離れした容姿にCIEは着目し、新時代を象徴する女性像として生み出したのが『虚飾の宴』の朝子役だった。中でもお抱えの運転手とダンスを踊るラストシーンは、それが民主化政策の一環であろうとなかろうとこの世のものと思えぬほど美しく、祥子は幼い頃から何度見てきたか知れない。
「『虚飾の宴』のモデルは吉村公三郎監督の『安城家の舞踏会』(1947年)。私は日本人のお金持ち像やお嬢様像の原型を作ったのがこの映画ではないかと思う。例えば女子が『エースをねらえ!』のお蝶夫人みたいな言葉遣いでお嬢様ごっこをするようになったのも、この映画が元ではないかと(笑い)。
朝子は、別に高貴な生まれでもないのに『虚飾の宴』のお嬢様像を私生活でも演じ抜く。敗戦で全てがゼロになったことをむしろ味方につける、そんな女性像を書きたかったんです」
某保険会社のCMに端を発した清宮朝子ブームに便乗する形で企画されたドキュメンタリー番組で、祥子はスペシャルアドバイザーとなる。これは父親を知らない祥子にとっても出生の謎を知る機会だった。
島津の妻で朝子のライバルだった大女優〈小峰三千代〉、抜擢の事情を知る『虚飾の宴』の助監督、朝子の取り巻きだった政財界の大物ら。彼らが語る朝子の過去はどこまでも清く正しく美しい。しかし、そこには……。
「朝子には祥子がどう足掻いても敵いっこないんですね。もしかすると“敵わないものは敵わない”というのは私の小説に一貫したテーマかもしれない。だからこそU子の悪女ぶりや、朝子の美に賭ける執念を、書きたいんだとも思う。
特に女子の場合、学校や職場で『この人は格が違う』という事実に割と早くから直面するところがあるような気がします。厳然と存在するヒエラルキーを、受け入れちゃった方が本当は楽なんでしょうけどね。
ところが今は頑張れば敵いそうな錯覚を環境的にも起こしやすく、祥子のように肥大化した自意識に苦しむ人も多い。でもどう足掻いても敵わない人には敵わない。だったら、昔の人が言ったように分を知るというのも一つの手だと私は思います」
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2012年12月21・28日号