12月11日、東京・文京区の自宅で中村勘三郎さん(享年57)の告別式がしめやかに営まれた。密葬にもかかわらず、500人もの弔問客が参列し、早すぎる別れを惜しんだ。
2012年6月18日、初期の食道がんであることを明かし、治療のため長期休養することを発表した勘三郎さん。2010年末に特発性両側性感音難聴を患い、2011年7月に復帰したばかりだった勘三郎さんにとっては、一難去ってまた一難、思いも寄らぬことだったろう。すでに“死”も覚悟していたようだ。
死後、放送された彼の闘病を追ったドキュメント番組『さようなら勘三郎さん 独占密着 最期の日々』(フジテレビ系)で、勘三郎さんの最後のインタビューが公開された。それはかなり切迫したものだった。
「初期なのにさ、1個飛んでるんだよ。転移ももうあるの。進行がんなんだよ。初期なんだよ? こんなこと珍しいんだって。そうすると生存率はぐっと下がって、30%とか12%とかなんだよ。だから笑っていられない状態なの、本当はね…」
食道がん治療に詳しいおんが病院統括院長・杉町圭蔵氏は、勘三郎さんのこの発言を、こう解説する。
「勘三郎さんの言う“1個飛んでる”というのは、1個だけリンパ節にがん細胞が転移しているということです。それはもう“早期発見”とは言えません。ですから勘三郎さんのがんは“進行食道がん”だったんです。1個でも転移していれば、そのがん細胞はリンパ節を通って体中を流れているわけですから、他のところに転移している可能性も高い。ですから5年生存率も、3割ぐらいになってしまうでしょうね」
リンパ節への転移が見つかったため、抗がん剤でがん細胞を小さくしてからの大がかりな手術が必要となった勘三郎さん。このとき、勘三郎さんの脳裏によぎったのは、今後の役者人生のことだったと前出の番組で明かしている。
「(手術をすると)声が出なくなるという可能性もなくはないの。手術しないで放射線でやるやり方もあるんだけど、そうすると再発も多いっていうし。だから声が出なくなってもいいから、62、3まで生きて、この感じを保つ方がいいのかっていろいろ考えるよね」
手術か、放射線か──命とともに、役者生命を支える声とひきかえに下さなければならない決断。前出の杉町氏は専門的な立場からこう話す。
「あくまでも仮定の話ですが、手術をせずに放射線で治療して、それから化学療法を行っていたら、少なくとも1、2年は生きられたと思いますよ」
※女性セブン2012年12月27日・2013年1月1日号