自民党の大勝で、憲法改正が具体化し始めた。かつて衆議院300議席を獲得して第三次内閣を組閣した改憲派の中曽根康弘氏でも手を付けられなかった「自民党の悲願」がどうなるか、注目される。フリーライターの神田憲行氏は「いまこそ憲法を読もう」と語る。
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選挙戦が始まると同時に憲法問題は原発、消費税などともにSNSで取りざたされた。朝日新聞がSNSを駆使して取材する「ビリオメディア(仮)」での「総選挙に関するつぶやき調査」でも、憲法問題は一貫して大きなボリュームを占めていた。さらに各種世論調査でも「憲法改正・見直し」と回答する者が過半数を超えた。背景に尖閣諸島・竹島という領土問題と9条の関係があるのは間違いなく、ここは中曽根政権時代と大きく違う。憲法改正がより現実化しているといえよう。
そこで焦点になるのは、自民党が4月27日に掲げた「日本国憲法改正草案」である。ツイッターでは女性国会議員の人権規定に対する「つぶやき」が物議を醸し、ネット上ではさまざまな「評価」が下されている。ここではそうし議論の中で、私が目にしなかった2点について考えたい。
まずひとつは「改正草案」は、そもそも、「憲法改正の限界」を越えているのではないか、という疑念である。憲法も一個の法律だから改正が可能であることはもちろんなのだが、そこに「限界」があるというのは、学界の通説だ。憲法論の大家である故・芦部信喜東大法学部教授の「憲法 第五版」(岩波書店)は、限界の根拠として「権力の段階構造」「人権の根本規範性」「前文の趣旨」「平和主義・憲法改正手続」を挙げている。「改正草案」は現行憲法よりかなり幅広く基本的人権の制限を認めており、この「人権の根本規範性」をどのように考えているのか、よくわからない。
その象徴が憲法21条「表現の自由」だ。現行憲法は、
《集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する》
としているが、「改正草案」は続けて2項を新設して、
《前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない》
と制限規定を設けていることである。
「表現の自由」は「自己実現の価値」と「自己統治の価値」からとりわけ重要な権利とされ、「表現の自由」を含む「精神的自由」の制限には「経済的自由」を規制する立法よりも、とくに厳しい基準で審査される「二重の基準の理論」が通説である(芦部「憲法」)。しかし「改正草案」にはそのような視点は感じられず、経済的自由の権利と同じように「公益及び公の秩序」から規制が可能になる。
「改正草案」の通りだと、毎週金曜日に官邸前に集合して原発反対をアピールすることも、「瓦礫の広域処理反対」のビラを市民が配ることも、「公益及び公の秩序を害する」と「判断した者」によって規制されるのではないだろうか。ネットでは9条の国防軍について議論が集中しているように見えるが、より国民生活に直結するのはこちらの改正である。
とはいえ私は法律家ではなく、学生時代に勉強しただけだ。異論反論もたくさんあるだろう。「わからない」という人もいる。そこで日本国憲法をまず読むことをお勧めする。「アマゾン」で「憲法」のキーワードで検索すると、「日本国憲法」Kindle版が無料でダウンロードできる。