ユニフォームを着た投手だが「選手」ではない。支配下登録はされておらず、背番号は3桁。仕事は「打者に打たれること」――。
グラウンドで最も輝くマウンド近くにいながら、どこか哀愁漂う存在、それが「打撃投手」である。しかしその仕事は、チームの浮沈を左右するほどの重要なものであることは、あまり知られていない。
打撃投手は強靱な体力が必要だ。「肩は消耗品」といわれる現代野球にあって、打撃投手はそれに完全に逆行する生活を送っている。シーズン中なら1日に約120球、多いときは150球を投げる。試合前には必ず投げ、休みはほとんどない。当然、疲労は蓄積しやすい。
だが、球団のトレーナーはあくまで選手のための要員なので、打撃投手がマッサージを頼むわけにもいかない。イチローの打撃投手だった奥村幸治氏は、「ホーム球場では特打もあるので、昼前には必ず球場入りしてウォーミングアップ。いつでも投げられるようにスタンバイするため、ストレッチを入念に行なっていた」という。
おまけに、危険とも隣り合わせだ。L字ネットがあるとはいえ、通常より短い距離で投げるのがほとんどのため、打球を避けきれず直撃して失明したり、記憶障害になった選手も存在した。
その一方で、ケアして体調保持に努めれば、長期にわたって活躍できるのも特徴である。現役の選手のほとんどが40代を境に引退してしまうのに対し、12球団を見渡せば、50代を超える打撃投手もいる。中でも、還暦を迎える2006年まで投げ続けた「伝説の打撃投手」水谷宏氏は、その最も顕著な例といえよう。
水谷氏は1968年にドラフト1位で近鉄に入団後、1978年に引退。その後打撃投手となり、梨田昌孝、佐々木恭介、中村紀洋ら「いてまえ打線」を陰から支えた。打撃投手生活は実に28年に及ぶ。
ちなみに、打撃投手の待遇は悪くない。年俸は一般的に500万~800万円程度といわれ、中には1000万クラスの打撃投手もいるという。
高給の理由は、打撃投手のほとんどが「兼任」を命じられるから、という理由もある。試合が始まれば投球をする必要はなくなるため、多くはスコアラーとなり、ネット裏やベンチからデータを取る。他にも用具係を兼任する者もいる。試合の前後に限らず、チームに最大限貢献しているのだ。
※週刊ポスト2012年12月21・28日号