12月5日、急性呼吸窮迫症候群のため57才の若さで亡くなった中村勘三郎さん。生前は数々の女優と浮名を流したこともあった。
1975年、当時19才だった勘三郎さんは、文学座の若手女優として人気だった故・太地喜和子さん(享年48)が主演する舞台『桜吹雪 日本の心中』を見に訪れた。勘三郎さんは、かつて本誌のインタビューでこう振り返っている。
「それがすごくよかったんです。で、次の日も見に行ったら、いちばん前の席しかなくて。照れくさい思いで見ていたら、途中で彼女が気づいたんだね。『女は桜、日本です』という最後の決めがあるんだけど、それをおれを見ていうの」
恥ずかしさと照れくささで楽屋にも顔を出さずに帰ろうとすると、突然、物陰から血だらけの手が出てきて、勘三郎さんを引き止めた。それは死にゆくラストシーンで血まみれに塗られた、太地さんの手だった。
「あんた、また見にきてくれたのね。すぐ化粧を落として行くから待っててちょうだいね」
再び、勘三郎さんの回想。
「最初、色っぽい、女っぽい人だと思っていたのに、とんでもない男みたいな、さっぱりした人だったので、またびっくりしちゃって。パウダーみたいな感じ、さらっとしているんだよ。あぐらかいてお酒飲んで、芝居を語る姿に、なんだよ、この人はと思ったね」
この時、太地さんは31才。12才差のふたりは、酒を飲み、演劇論を闘わせながら、やがて男女の仲になった。しかし、この交際も3年で終わりを迎えることになる。
「おれが大竹しのぶ(55才)を好きになっちゃったんだ。恋しちゃったんだね」と勘三郎さん。
22才の時、当時20才だった大竹と『若きハイデルベルヒ』の舞台で共演。皇太子と酒場の娘が恋に落ちる物語で、演劇関係者の間には「この芝居をやると、どのカップルも本当の恋になる」という“言い伝え”があった。その通り、勘三郎さんは恋に落ちたのだ。だが、当の大竹はというと
<私はまだデビューしたてでしたから本当に何も知らなくて、勘九郎さん(当時の勘三郎さんの名)に誘われてもいつも遊園地ばかりリクエストしていました。花やしき、谷津遊園、豊島園、後楽園とかよく行きました。しかも、必ず妹とか友達が一緒。だって、恥ずかしいじゃないですか、二人だけというのは>(中村勘三郎著『襲名十八代』〈小学館刊〉での大竹へのインタビューより)
大竹への恋心ゆえに、ふたりの舞台が続いている間、勘三郎さんは太地さんに連絡をとることができなかったという。ところが舞台が終わると同時に、勘三郎さんは、好きだったのは大竹ではなく、大竹演ずる町娘だったことにハッと気づく。
<とうとう楽日。不思議だね、打ち上げが終わったらスーッと気持ちが冷めたんだね。なんだ、違う、違うよ、僕はって。それで元の彼女のところへ行ったらフラれちゃった。恋が一つ終わった。大竹のせいだよ。まあ、大竹はもちろん、知るよしもないけど、アッハハハ>(『襲名十八代』より)
※女性セブン2012年12月27日・1月1日号