2012年、浮世絵師・葛飾北斎の肉筆春画12枚が発見された。パリのコレクターが所蔵していた世界的な傑作であり、12月20日に発売された『週刊ポスト』2013年1月1・11日号では、その12枚の春画すべてをカラーで公開している。この190年の時を超えて甦った「幻の肉筆春画」について、浮世絵研究者の白倉敬彦氏が文章を寄せた。
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文政五年(一八二二)、北斎は江戸参府のオランダ商館長・ブロムホフから絵画製作の注文を受けた。受取りは次回の参府の際、すなわち四年後の文政九年ということだったろう。
そして注文品を受領したのが、ブロムホフの後任のデ・スチューレルと医官のシーボルトの二人であった。シーボルトが引受けたオランダ製紙の二十八点の作品は、後にシーボルト・コレクションとしてライデン国立民族学博物館に入っている。
一方、デ・スチューレルが引受けたのは、和紙に描かれた二十四点とオランダ製紙の一点、計二十五点であったといわれてきた。デ・スチューレルは後年、パリに移住、これらの作品は一八五五年、彼の子息によってパリ国立図書館に寄贈された。
ところが二〇一〇年のパリのオークションにデ・スチューレルの近親者から、コレクションの残りとして二点の肉筆画が出品された。そして今年になって、今回紹介する十二図一帖の春画が同じコレクションから出て来たのである。
本作品であるが、図柄は大奉書全紙に描かれていて、各図は三十七・三センチ×五十二・二センチ。現在は、中国風の画帖に一枚ずつ張り込まれているが、本来は、折帖に仕立てられていたものと思われる。中折れ線もあまり目立たない状態で、書入れのある余白には白雲母が塗り込められている。
肉筆作品に書入れがあるのはかなり珍しいが、これも十二枚セットの組物折帖であるということから考えると納得がいく。文字は北斎の自筆と見て間違いなかろう。彼の春画の代表作『富久寿楚宇』の書入れの文字と酷似している。また、用紙もパリ国立図書館蔵の一連の作品と同一というから、ほぼ同時期に製作されたものだろう。
ところでオランダへの注文品の中に、なぜ春画帖が入っていたのか。それはおそらく、日本の風俗がテーマであった以上、ごく自然に性風俗も入れるよう要望があったものと思われる。そして、風俗というからには、単なる交合図だけでは済まない、面白くはあるまいと考えたところが北斎の真面目。それゆえ、本作品の半数が群交図になっている。
こうした形で真正の北斎春画が出て来ようとは思いもしなかった。中には、『浪ちどり』との類似を想起される方もいようが、較べてみればすぐ判るように、その彩色の精緻さにおいて両者の違いは歴然としているし、まして陰毛の描写においては、その細緻さの面で格段の差が見てとれよう。「名作」の名に値する傑作が、よくぞ残っていてくれたとの想いを禁じ得ない。
※週刊ポスト2013年1月1・11日号