11月、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が沖縄入りした。そのダライ・ラマ氏と、中国の次期最高指導者となる習近平氏の妻の知られざる因縁を、ジャーナリストの相馬勝氏がレポートする。
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北海道各地が初雪に見舞われた11月中旬、沖縄県那覇市は日中の気温が25度を超え、ちょっと歩き回ると額から汗が噴き出す暖かさ。気温が14度前後あるものの、北風が吹き付ける金沢から沖縄入りしたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、那覇空港に降り立つと、あまりの気温の違いに羽織っていた赤い僧衣を取り去り、腕の素肌を外気にさらすほどリラックスした表情を見せた。
翌日は早朝からの局地的な激しいスコールのため、平和祈念の植樹や「ひめゆりの塔」訪問などの活動が危ぶまれたものの、ダライ・ラマ一行が活動を始めた午前9時ごろには雨は小降りになり、10時過ぎには止んでしまった。
「まさに法力ですね。さすがにダライ・ラマ法王だ」
随行員の1人は得意げに筆者に語りかけた。しかし、チベットとダライ・ラマの未来は、必ずしも天気のように先行きが明るくはなかった。
「ところで、ダライ・ラマ法王の習近平の印象はどういうものですか」随行員に尋ねた。「大変期待していますよ。何と言っても、彼の奥さんは法王の熱心なファンですから」「本当ですか?」初めて聞く逸話に筆者は思わずのけぞり、足を滑らせてしまった。彼の話をもっと聞きたかったが、肝心の随行員はダライ・ラマの側近に呼ばれて、その場を離れてしまった。
習近平の妻といえば「美人妻」で名高く、かつては「中国の歌姫」と呼ばれた人気絶大な歌手、彭麗媛である。しかも中国人民解放軍総政治部の歌舞団出身で、女性では唯一、「少将」の位をもつ軍幹部でもある。
1987年、廈門市副市長だった習近平が彭麗媛に一目惚れし、両親の反対を押し切って電撃結婚した仲で、その仲睦まじさは定評がある(このエピソードは拙著『習近平の正体』=小学館刊に詳しい)。
習近平は11月15日の党中央委員会総会で党トップの総書記と中央軍事委主席に選ばれており、2013年3月の全国人民代表大会(全人代)で国家主席に就任すれば、名実ともに中国の最高指導者となる。彭麗媛はファーストレディだ。その彭麗媛が中国共産党政権と激しく対立しているダライ・ラマの熱心なファンとは、ちょっとしたスキャンダルである。
改めて随行員に聞いた話は以下のようなものだった。
習近平と彭麗媛は結婚当初はうまくいっていたが、彭麗媛は売れっ子のスターで、海外出張も含めてステージ活動が忙しく、習近平も福建省勤務になったこともあって、夫婦はすれ違いの日々を過ごし、いつしか習近平の周囲に女の噂が立つようになった。
彭麗媛は悩みに悩み、一時は離婚も決意したが、結局思い切れず、宗教に救いを求めた。そんな時、たまたま北京に滞在中だったチベット仏教の高僧を紹介され、法話を聞き、悩みを相談するようになった。
このチベット僧は彭麗媛にダライ・ラマの偉大さを説き、彭麗媛も影響されて、ダライ・ラマの本を読むなど「熱心なファン」になったというのだ。
※SAPIO2013年1月号