良質な作品には“創造的破壊”が付きものだ。ミタ現象を巻き起こした脚本家が描く朝ドラの場合はどうか。作家で五感生活研究所の山下柚実氏が考察した。
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NHK連続テレビ小説「『純と愛』もスタートから3ケ月が経ち、いよいよ折り返し地点にさしかかるところ。視聴率は18%台と、相変わらずお茶の間の関心を引きつけ続けています。ネット上での評価は、賛否がまっぷたつ。作り手としては「ねらい通り」といったところでしょうか。
スタート当初は、NHKの朝ドラらしくない風変わりな物語設定に、拒絶反応も聞かれました。「人の本性が見えてしまう」という愛に代表される奇妙な人物像に、「ついていけない」「オカルトチック」などの批判の声が。
その不可思議な物語の枠組みも、現代の「純愛」を描くドラマの仕掛けとして、ずいぶんとお茶の間になじんできたようです。
しかし最近は、奇妙な人物が出てくるわりにはドラマの展開が単調になっているのでは?と感じていている視聴者、実は多いのではないでしょうか。
舞台は沖縄・宮古の実家ホテルへ。ホテルや土地の売買契約をめぐって書類に不備があるとかないとか、ホテルを手放すの手放さないの、両親が離婚するのしないの、入水自殺と見せかけて実は狂言だったの……。
Aかと思うとB、Bになったかと思えばA。
微妙な心の揺れや人間が生きることの陰影を感じさせるドラマ作りというよりも、同じ登場人物たちの中でぐるぐると、エピソードをひっくり返す連続。ドタバタ劇のパターン化に陥ってはいないでしょうか?
沖縄という舞台についても、個性的な文化やゆったり流れる生活時間、土地にまつわる歴史や食、美しい海ゆえのリゾート開発をめぐる社会的諸問題……といったものがほとんど描かれないことも、ちょっと気になります。
NHKの朝ドラといえば、ストーリーだけでなく、「ご当地」も主人公になるというのが定番でした。その土地「ならでは」の郷土色、文化や風土、方言や固有の暮らし方を取り込んで、お話を描いていくことが、ドラマの魅力を際立たせる「強烈な武器」になってきました。
たとえば『カーネーション』。
大阪・岸和田という街が実にいきいきと色濃く匂い立ち、街角の生活が細部まで浮かび上がってきました。岸和田を歩きたいと現地を訪れる観光客が激増したことが、その証しでしょう。
『純と愛』の脚本担当・遊川和彦氏は、「これまでの朝ドラの形を壊す」意気込みだそうですが、朝ドラの武器までを易々と手放すことはない。むしろ、それを強みとして存分に使いきってほしい。
沖縄に限らず、純と愛が活躍するその土地で、風土の魅力、ふるさとの匂いや味わいをいきいきと立ち上がらせてほしい。土地性とストーリーとをからみあわせていく面白さを、残りの3ヶ月間でぜひ、見せてほしい。
もしそれが無ければ、蒲田らしさがさっぱり伝わってこなかった無国籍朝ドラ「梅ちゃん先生」の二の舞になってしまう、と思うのです。