<最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき>−−最新刊『永六輔のお話し供養』(小学館刊)には、そんな信念を持つ永六輔さん(79才)と親しかった著名人との交流秘話が描かれている。ミリオンセラーとなった『大往生』から18年、“寺の子”である永さんが、長年の仕事仲間で『話の特集』元編集長・矢崎泰久さんと“永遠の別れ”について語り合った。
矢崎:永さんは、ぼくと一緒に歩いていても、雑踏の中で誰かに“会っちゃう”んだよね。おれにはわからないけど、「今、渥美ちゃん(渥美清さん、享年68)に会ったよ」とか。すごく不思議…。
永:霊魂とか怪奇現象ではありません。ぼくがパーキンソン症候群という、幻覚を伴いがちな病気だからですよ。
でも、その人とそっくりな人が地球上に何人かいるっていうじゃない。だからみんな、その人と会ったと思えばいいの。そこで、そっくりな人だなと思うか、当人だと思うかは心の持ち方しだいで…。
矢崎:それって、普段からの心がけ?
永:そんな立派なものじゃなくて、今、あの人がいたらどんな話をするだろう、何をしたいと思っているだろうか…そう考えているだけだよ。渥美ちゃんの場合も、彼がいたら何を一緒に食べようかな、と考えている。その思いが、見えることにつながるんだと思っている。
最新刊『永六輔のお話し供養』で、永さんは親しかった亡き8人の著名人との思い出を綴っている。最初に登場するのは渥美清さん。永さんは、2011年の東日本大震災の被災地を訪ね歩いたとき、瓦礫の山と化した現地で、渥美さんを見かけたという。そして、親しかったゆえに、それまでどこにも書いたことがなかったという渥美さんのエピソードを紹介し、「下町の品性」を備えていた人だったと偲んでいる。
永:秋山ちえ子さんという人がいます。秋山さんは岩手の盛岡で「いきいき牧場」という障がい者の福祉施設を支援しているんですが、どういう活動をしようとか、いろんな会議をするとき、「宮沢賢治だったらどうするだろう」って考えるんですよ。
ぼくも東日本大震災以後、「宮沢賢治が生きていたら、東北の地震について、復興についてどう考えるだろうか、政府や政治家に何を望むだろうか」と考えます。東北の人の背骨には、宮沢賢治って今も生きてると思うから。
矢崎:宮沢賢治に思いを巡らすことで、おのずと進むべき道も見えてくるんだ。
永:作家の井上ひさし(享年75。山形県出身)が生きていたら、やっぱり今度の東北の震災をどう受け止めただろうかとも、ぼくは考えている。「もしその人が生きていたら」と考えて、その人がしただろうことを代わりにしてあげる。遺志を受け継ぐっていうのは、そういうことだと思うんです。
矢崎:その人は亡くなってしまったけど、遺志を継いだり、日々思い出してあげることで、その人が生きているということになる。
永:遺志を継ぐ、代わりにやってあげるっていうのは、悲しむのとは違うんですよ。
矢崎:あの世の人とのひとつの約束みたいなもんだね。
永:ほんとうに大切に思う人との約束にすればいい。そうやって生きている人が覚えている限り、人は生き続けるんです。
たとえば、生きているときに報われないで亡くなる人もいっぱいいますね。そういう人に対する思いやり、何かしてあげたいという気持ちがあるなら、草葉の陰に思いを巡らし、あの世とこの世をつないで、会いたいときに会える関係をつくっておくといいんです。
ところで、おばけと幽霊の違いって、わかる?
矢崎:…。
永:おばけっていうのは、恨みや何かを持って死んだ人が、復讐や脅かしにくるの。
矢崎:ああ、おばけは恨めしいんだ。要するに恨みだね。
永:幽霊は、あの人はあの世から会いに来てくれるだろうって、こちら側にいる人が思っていると、会いに来てくれる存在。だから、しばしば会えるわけ。
矢崎:じゃあ、幽霊は大事にしなきゃいけないね。
※女性セブン2012年12月27日・1月1日号