41才にして自分の運命を受け入れ、全ての準備を済ませて逝った金子哲雄さん。そのいきさつは最後の著書『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(小学館)に余すところなく綴られている。その500日を、金子さんを看取った医療コーディネーターのAさんはどのように受けとめたのだろうか?
Aさんにとって、金子さんを看取った経験は、非常に大きかったと言う。
「自分も金子さんのように死にたいと思いました。医療関係者の中にも、物理的に痛みを取り除いて死んでいかせることが尊厳死だと勘違いしている人が多いんです。でもそうでなくて人生の最期を自分の望むようにすること――これが尊厳死だと思うんです。金子さんは、自分の思いが、まったくブレませんでした」(Aさん)
金子さんの希望ははっきりしていた。それは最期まで仕事を続けること、そして、苦しまずに死ぬこと。これだけだった。最期に苦しまないですむのかということだけは何度も聞いていた。少し延命するかもしれないからといって、余分な治療をするより、妻との生活のQOL(クオリティー・オブ・ライフ)が保たれるようにしてほしいというのだ。
それは、最期まで人間らしく生き、死にたいように死ぬということだった。
「人生が千差万別なように、死に方も人によって違います。それは本人にしかわからないのですから『こういう最期を迎えたい』ということを、医師にはっきり言ったほうがいいんです」(Aさん)
金子さんは、はっきり「死に方」を決めていた。
「医療従事者としては、どうしても、看取った後で後悔が襲ってくるんです。もっとこうしてあげられたんじゃないか…と。無力感も大きい。でも、金子さんのときは違いました。金子さんの意志がハッキリしていたお陰で、私たちもその意に沿って、在宅医療を行うことができたんです。
こんな言い方、変かもしれませんけど、金子さんが亡くなった後、金子さんの死に顔を見ていたら、『あなたがやってることはそれでいいんだよ』って言っていただいているような感覚に襲われて…」(Aさん)
最後の日、Aさんは金子さんに呼ばれて自宅を訪問した。
「ご自宅にお邪魔していた夕方、雑誌の電話取材がきたんです。もうつらくてどうしようもない状況です。それなのに、電話口の記者に向かって、こう言ってるんです。『ちょっと今、喘息で咳が出ちゃって、ご迷惑かけるかもしれないですけど…』。
まもなく死ぬかもしれない状態だというのに、こんなふうに気を使うなんてと。言葉もありませんでした。最後の最後まで、人に気を使い続けて逝ってしまったんですから…」
Aさんはめがねをはずして涙をふいた。支えながら金子さんと一緒に何度も流した、温かい涙だった。
※女性セブン2012年12月27日・1月1日号