邪悪このうえない事件を次々と起こしておきながら、自死を遂げた角田美代子被告(享年64)。そのきっかけは、自分が事件に引き込み、支配してファミリーを形成していたはずの共犯者が、次々と彼女を裏切り始めたことだった。
角田被告と留置所をともに過ごした女性の証言によると、角田被告は2012年9月中旬から、明らかに“脅え”を見せるようになっていた。それはこの時期、決して自分には及ばないと高をくくっていた一連の殺人が、徐々に明らかになりつつあったからだ。捜査関係者が明かす。
「これまでに、一連の事件で逮捕されているのは角田被告の他に7人いて、いずれも彼女とは養子縁組などによって縁戚関係にある。当初は自分のことは話しても、角田被告のことは全く話をしようとしなかった。ところが、9月に入った頃からか、ようやくポツポツと『美代子が主犯で、指示をされた』などと自分から話し出すようになってきた。各々の供述をすり合わせ、本丸の角田被告の取り調べを本格化させていったのが9月中旬頃からなんです」
角田被告の「内縁の夫」の鄭頼太郎被告(通名・東)、「長男」の角田優太郎被告(25才)、その妻の瑠衣被告、角田被告の「養子」の健太郎被告(30才)、「義理のいとこ」の李正則被告、「瑠衣の姉の夫」だった仲島康司被告(42才)、「義妹」の角田三枝子被告(59才)──いずれも血の繋がりがないこの7人は、角田被告の“ファミリー”として事件にかかわっている。
角田被告が彼らに恐怖を植え付ける一方、“家族の絆”を利用しながら巧みに心を操るという支配の力が完璧だったからだ。ところが、角田被告とともに昨年11月に逮捕されてから1年足らず、その支配力は徐々にゆるみ、呪縛が解かれつつあった。
他のファミリー以上に角田被告に寵愛を受けていたと言われる瑠衣被告ですら、取り調べにこう答えるようになっていた。
「常に監視されているようで、息苦しかった。美代子が逮捕されてから、重荷が取れて自由になりました」
角田被告の「支配欲」について語るのは、犯罪心理学に詳しい六甲カウンセリング研究所の井上敏明さんだ。
「角田被告は男性性の強い女性だったと考えられます。攻撃的で支配欲が非常に強い。いわば、人を支配することで、自分の人格を成立させている部分があります。その角田被告にとって、支配していたはずのファミリーの離反が、大きな痛手だったことは想像に難くありません」
井上さんは、角田被告の支配欲は、生育環境に原点があったと分析する。
「おそらく彼女自身、幼い頃に親から暴力を受けていたのではないか。その時の心の傷が行き場のない欲求不満となって、支配欲に繋がっていったと考えられます。彼女が無条件に、理不尽に人に危害を与えることが平気なのは、親に同じようなことをされていたと推測されます。長じてから人を従えさせる術を身につけ、今度は支配欲求の快感を覚えるようになったのでしょう」
角田被告は1948年、兵庫県尼崎市で左官工を営む家庭に生まれている。中学3年生時の担任教師は、「愛情のない家庭に育ったようだ」と語っている。実際、角田被告の父親は遊郭に入り浸り、母親は放任主義で、角田被告が警察に補導されても迎えにも行かなかったという。
中学生になった角田被告は、常に5~6人の男を従えて歩き、学校内でも恐れられる存在だった。そうして培われた強烈な支配欲こそ、角田被告が獄中自殺を選んだ理由だったと、前出の井上さんはとらえている。
「逮捕され、拘置された角田被告は、支配する側から支配される側になった。まずそれが耐えられない状況なわけです。そのうえ、支配していたはずの“ファミリー”の離反によって、そこから抜け出すことができなくなっていく。そこで今度は自分の体を自分で殺すことで、自分自身を支配しようとしたのだと思います」
※女性セブン2013年1月10・17日号