普段自分自身について多くを語らない勝谷誠彦氏が、冒頭で珍しく自分について語りだす。しかし、これは私論で終わらない。過去最低を記録した先の総選挙の投票率と自分自身を知るということは無関係ではないのである。本日から『メルマガNEWSポストセブンVol.46』に掲載された同氏のコラムを3回に分けて全文掲載する。
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私の携帯電話は週に2度もならない。それもマネジャーからだ。携帯のメールは一度も使ったことがない。毎朝発行している有料配信メール『勝谷誠彦の××な日々。』を書くために3時4時からウェブで世界中に情報をとりにいくが、それは「交信」ではない。つまり私は人間関係においては、まことに孤独である。ひとり都心の自宅で買ってきた惣菜で本を読みながら酒を呑み、眠るほどの果報は私は知らない。時には軽井沢の家に帰り、自分のためだけに料理を作る。ただただ、霧が動くのを見ている。戦場にあっても、その風景を思い出せば死んでもかまわないと思う。
私は、私が誰なのかわからない。知りたくもないし、なりたいものもない。私の存在は状況が規定すると思っているからだ。だから、いま書いている文章はきわめて異例であって、私が自分について語ることはあまりない。
もちろん最初からこうだったわけではない。「自分さがし」もした。「俺が俺が」という時代もあった。しかしある時、ふっとさまざまなものを捨ててみると「自分」などというものはないのだとわかった。たとえば私たちの心は外から入ってくる情報で構成されている。本来の自分などというものがそこにあるだろうか。オギャアと生まれた時からあなたは自我を持っていただろうか。そうではない。すべてはこの世を巡るもののただの淀みなのである。これは仏教の本来の考え方であるが、何も宗教がかって言っているわけではない。畏友・福岡伸一先生がルドルフ・シェーンハイマーの動的平衡として紹介して、人々に広く知らしめることになったが、私たちの身体すら分子レベルでは2週間あまりですべて入れ代わる。今のあなたは3週間前のあなたとは別人なのだ。
なぜこんなことを書き始めたのかと言えば、終えたばかりの総選挙の投票率が6割にも届かなかったことに衝撃を受けたからである。直後に行われた韓国の大統領選挙のそれは7割をはるかに超えた。日本国はポカポカの日よりであり、韓国は零下10度の寒さに人々は列を作った。前回私はここで「無知の知を自覚して投票に行こう」と呼びかけた。自分にいかほどの影響力があるとも思っていないが、この結果には寂しかった。と同時に、何がいけなかったのかと分析した。
(※この続きは12月30日7時に配信予定)