中村勘三郎さん(享年57)の楽屋の鏡台には、いつも父(十七代・中村勘三郎)の写真が立ててあった。
「勘三郎さんは、毎月毎月お父さんの月命日のお墓参りを欠かしませんでした。大好きな父であるとともに、歌舞伎役者として大きな壁でもあった。常に『オヤジなら』『オヤジだったら』と意識していました」(勘三郎さんと親しかった歌舞伎関係者)
歌舞伎界の常識にとらわれることなく、次々と斬新な試みを成功させた勘三郎さん。しかしそんな“革命児”にも、「カーテンコールをやろう」という父を「歌舞伎にカーテンコールなんてないからやめた方がいい」と止めた時代がある。
それは父との最後の『連獅子』だった。勘三郎さんは後にこう語っている。
「お客さんの拍手が鳴り止まなくて、自然にカーテンコールになっちゃって。後ろからオヤジを見ていたら、もう涙があふれて止まらなくなっちゃった。僕はなんであんなことを言っちゃったんだろう。オヤジはこんな息子をどう思ったんだろうって、今でも頭をよぎることがあります」
※週刊ポスト2013年1月1・11日号