1980年代前半はテレビ東京で放送されていた箱根駅伝だが、現在は日本テレビが生中継に携わっている。
テレビ東京から日本テレビに中継権が移行される際、各地を奔走したのが元日本テレビの坂田信久氏(71)だ。日本テレビのスポーツ局に所属した坂田氏は、高校サッカーやトヨタカップ(現在のクラブワールドカップ)といった、今でも同局の看板番組となっているスポーツ中継を立ち上げ、1987年には当時技術的に難しいといわれていた箱根駅伝の完全生中継もスタートさせた敏腕テレビマンである。
57歳を迎えた1998年には、日本テレビが資本を持っていたヴェルディ川崎に出向し、専務取締役に就任した。
Jリーグ創成期、黄金時代を築いたヴェルディだったが、主力の高齢化もあり、1997年以降は低迷。1998年オフには、創設の1969年から経営に絡んでいた読売新聞が撤退し、坂田氏が「日本テレビフットボールクラブ」と名称を変えたチームの社長に昇格する。
大幅なコストダウンを余儀なくされた坂田氏の最初の仕事は、これまでチームを支えてきた、高年俸である大物選手たちへの解雇通告だった。
ラモス瑠偉はみずからの意思で現役生活にピリオドを打ったが、“闘将”と呼ばれ、日本代表のキャプテンも務めたDF柱谷哲二には解雇を意味する「0円提示」。そして、当時年俸2億円(推定)で、この年念願のW杯出場を目前で断たれたキング・カズこと三浦知良にも同じく「0円提示」をしている。
坂田氏は、解雇通告の状況を、あるインタビューの中でこう回想している。
「カズは一流のアスリートなのだから、報酬が高額なのは当然だ。数少ない特別な選手はそうであってほしいと思う。しかし、われわれは従来の報酬を払っていたら経営が成り立たないところまで追い詰められている。そんな話をしましたよ。
(中略)カズが言ったのは『では坂田さん、もし僕がお金は一切いらないと言ったら、来年もヴェルディでサッカーをやらせてもらえますか?』。そんな失礼なことはできないと言うしかありませんでした」
解雇されるカズも辛いが、解雇を言い渡さなければならない坂田氏も相当辛い立場にあったはずだ。トヨタカップや箱根駅伝というスポーツ中継をゼロから作り上げたほどの手腕があったからこそ、“キング・カズへの解雇通告”という試練も乗り越えられたのかもしれない。
※参考文献:『フットボールサミット第4回 カズはなぜ愛されるのか?』