韓国の主張のトンデモぶりは、「寿司」や「日本」など何でも韓国起源を主張していることからも分かる。これは韓国語の「ウリ(我々)」をもじって“ウリジナル”活動と揶揄されているが、今度は「歌舞伎」までも起源主張しているというから驚きだ。
歌舞伎は庶民の中で生まれ、民衆に広く親しまれた芸能だった。日本古典演劇が専門の今岡謙太郎・武蔵野美術大学教授は言う。
「戦国時代末期から江戸初期にかけ、それまでの芸能集団と別の性格を持った、少年少女を中心とする新しい芸能集団が人気を得るようになりました。また一方、異相の装いや突飛な振る舞い、派手な行動をとることを当時の言葉で『傾く』と言い、そうした人たちは『かぶき者』と呼ばれました。
特に江戸時代は、かぶき者のエネルギーが一種の流行となった時代。歌舞伎の始祖と呼ばれる出雲阿国は、少女の芸として人気を博した『ややこ踊』にかぶき者たちの風俗や雰囲気を取り入れ、『かぶき踊』を創始したのです。阿国は男性のかぶき者に扮した女性を寸劇に登場させたりしました」(今岡氏)
阿国の「かぶき踊」をもとに、女歌舞伎が誕生する。慶長から元和年間(1596~1623年)に京都、名古屋、信州上田などで興行され、人気は全国に広がった。
「当時は最先端の文化だったポルトガルやオランダの影響が大きかったかもしれません。阿国や阿国に追随した役者は南蛮渡来の小物をたくさん身に着けていたようです。慶長年間に描かれた『歌舞伎図巻』を見ると、采女という麗人の役者の胸元に、十字架のような形をしたペンダントが描かれています」(今岡氏)
江戸時代になると、幕府により女歌舞伎が禁止される一方、男性による歌舞の中から現代の歌舞伎につながる「野郎歌舞伎」が登場する。同じく庶民の娯楽として上方や江戸で流行し、以来、伝統芸能として今日に伝わる歌舞伎がどれだけ日本の庶民に根付いたかは、現代の私たちが日常使う日本語にも表われている。
「幕の内弁当や十八番、二枚目・三枚目などに加え、『板につく』や『差し金』『大詰め』『修羅場』『正念場』など、挙げればきりがないほど」(今岡氏)
我々が普段使っている何げない日本語の中に、江戸から続く伝統芸能としての歌舞伎が生きている。
※SAPIO2013年1月号