厚労省が2012年12月6日に発表した最新の調査で、日本人の死因のトップはやはり「がん」だった。しかし、医師に告げられた数か月という余命や、再発や転移といった絶望的な状況を乗り越え生きている人たちもいる。彼らはどのように病と向き合ってきたのだろうか。元プロ野球選手の横山忠夫氏のケースを紹介しよう。
* * *
「自分が今生きていられるのは妻のおかげ」と語る元巨人軍投手の横山忠夫氏はこれまで3度のがんを経験してきた。1999年に、最初の大腸がんを発病。進行度やステージはわからないが「かなり末期だった」という。
「6時間近くかかる手術で大腸を1メートルほど切除しました。先生からは、『なんでこんなに悪化するまで、病院へ来なかったんだ。(がん細胞が)腸壁を突き破っているぞ!』と、ひどく叱られました。
ドラフト1位で巨人に入団、プロ通算12勝をあげた横山氏。当時はプロ野球を引退し、母校の立教大学で野球部の指導をしていた。秋のリーグ戦で優勝争いをしていたこともあり、野球に全神経を注いでいた。便が黒ずみ腹痛もあったが、誰にもいわずに我慢を通した。
「優勝の祝勝会でバカ騒ぎをした翌日に、大量の下血をして倒れました。すると、半年後には肝臓にもがんができているのがわかった。大腸のがんが転移していたんです。『検査を受けず大腸がんが悪化している間に、肝臓にも転移したんだ』と、またしても自分を激しく責めました。ひょっとしたら肝転移は防げたかもしれないと思うと、悔しかった」
肝臓へは3か所転移していたが手術は成功し、3週間ほどで退院した。これでもう大丈夫──。横山氏は胸をなで下ろしたが、1年も経たないうちにまた肝臓にがんがみつかった。悩んだ末、親しくしていた元巨人軍の堀内恒夫氏に相談をした。家族を思う横山氏の心中を察してしばし沈黙をした後、堀内氏はこう声をかけたという。
「『ヨコ、死んだらおしまいだぞ。移植を受けろ。何も命には変えられないだろ』って。ホリさんはちょうど監督を引き受けて大変な時期だったのに、『色んな面で支援するからやれ』と背中を押してくれたんです」
検査の結果、肝臓が提供できる候補者として選ばれたのは妻だった。2004年、19時間にも及ぶ大手術で、妻の肝臓の3分の2が横山氏に移植された。手術で腓骨神経が麻痺し、歩けるまで1年ほどかかったが、今ではゴルフや草野球も楽しめるようになった。現在も投薬は続いているが、今のところ転移はしていない。
「女房は、肝臓をあげるのが当たり前だと思っていたのかもしれません。衝突もしますが、昔と変わらず喧嘩ができるのも、妻のおかげ。大酒飲みで2回目までは手術後すぐ飲みに行ったりもしたけれど、肝移植後は1滴も飲んでいません。ホリさんには、『ヨコはもう一生分飲んだからいいだろ』といわれます(笑い)。せめて酒で身体を壊さないくらいは、女房に恩返しをしたいと思うんです」
※週刊ポスト2013年1月1・11日号