ムード歌謡ネタで大ブレイクしたお笑い芸人・ムーディ勝山(32才)。全盛期の2007年にはテレビ番組やCMなどの出演オファーが殺到し、紅白歌合戦に出場するほどの人気を集めた。しかし、翌年以降仕事が減り、ときには1か月まったく仕事がないこともあったという。そのムーディに当時を振り返ってもらった。
――そもそも、芸人を目指したきっかけは?
ムーディ:あまり他の芸人にはないきっかけなんですけど、うちの母親が“息子おもろいな”ということで願書をよしもとに勝手に送ったんです。アイドルにはよくあると思うんですけど、そのお笑いバージョンですね。後から母親に、“願書出しといたで”って言われて。“何やっとんねん”って言ったら“あんたおもろいからいけるやろ“って。
――勝手に出されて、素直に養成所に通ったんですか?
ムーディ:そうですね、そのとき何もやっていなかったので。19才のときですね。
――「右から来たものを左へ受け流すの歌」はどうやってできたんですか?
ムーディ:家で部屋の模様替えしているときに鼻歌を歌っていたらできました。テレビを右から左にとか、タンスを右から左にとかやっているうちに、メロディーと一緒に歌詞もそのまま出てくるという感じでした。
――ブレイクのきっかけは?
ムーディ:先輩芸人さんの結婚式の2次会ですね。ダイアンの津田(篤宏)さんとか、芸人の結婚式の2次会は若手が芸をするのが定番なんですけど、そこで受けまして。それが今田耕二さんにまで広まって、今田さんの推薦で新春の『さんまのまんま』スペシャルに出ることになりました。全国放送初の出演でした。これが2007年だったんですけど、そこからトントン拍子で仕事が増えていきました。
――ブレイクしてからは生活がガラッと変わったんじゃないですか?
ムーディ:そうですね、それまで大阪で牛丼店でアルバイトしていましたからね。バイトも辞めて、東京に出てきました。
――全盛期のころの月収は?
ムーディ:最高月収は640万円です。当時は、家賃27万円の目黒のマンションに住んでいました。
――売れていちばん楽しかったことは?
ムーディ:640万円の月収もそうですし、紅白にも出させていただいたり、CM10本やらせていただきましたしね。CMでは、長澤まさみさんとも共演させていただきましたし、すべていい思い出です。
――ところでスギちゃんがブレイクしていますが一発屋にならないためのアドバイスは?
ムーディ:もっと早くアドバイスしたかったですけど、テレビに出すぎないこと。これにつきます。もう遅いんですけどね。
――スギちゃんも一発屋になってしまうと?
ムーディ:彼は10年後を見たときには大丈夫だと思いますよ。心が折れなければ。芸歴もあるし、ちゃんとしてはる人ですし、やっぱり一番を取るのは大きいです。みんなが知っているので。あとは、われわれ一発屋組合が待っていますよ。こっちに来たらちょっとは安定した一発屋仕事もあるので、それをみんなで分け合うというね。
【ムーディ勝山】
1980年、6月11日生まれ。滋賀県出身。本名・勝山慎司。2007年、ムード歌謡ネタでブレイク。『エンタの神様』(日本テレビ系)『爆笑レッドカーペット』などバラエティー番組で活躍するも、その後、人気低迷し仕事が激減。2011年8月、一般女性と結婚。現在、『それいけミミゾー』(東北放送)などにレギュラー出演中。オムニバス映画『同じ星の下、それぞれの夜』(2月9日よりテアトル新宿他で全国順次公開)にニュースキャスター役で主演(http://www.onajihoshi.com/index.html)。