NHKのスポーツアナウンサー、石川洋さんが6日、療養中の病院で亡くなった。53歳だった。
2004年のアテネ五輪では北島康介選手のインタビューで「チョー気持ちいい!」の名言を引き出したことで知られるが、高校野球では、1998年、あの伝説の横浜対PL学園戦延長17回の実況を担当したことでも知られている。生前、その実況にまつわるインタビューをした「横浜vs.PL」(朝日文庫)の著者のひとり、フリーライターの神田憲行氏が石川さんの取材を振り返る。
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実況を担当した当時、石川さんはNHK広島放送局のアナウンサーで37、38歳だった。NHKの中継担当は先に「大会○日目第1試合」という枠だけが決まり、対戦相手はわからない。準々決勝の組み合わせ抽選で横浜高校対PL学園の実況担当が決まり、石川さんは顔面蒼白になったという。
石川:準々決勝の組み合わせが決まる前に、「横浜とPLが対戦するカードになったら、喋れるアナウンサーはいないな」と言っていたんです。そこまでのお互いの戦い方をみたら両チームとも隙がないし、それがさばけるアナウンサーはいないなあ、と。そしたら僕が(実況担当に)当たって、死にそうでしたね。どうしようかと思いました。でもある人から、「そういういいカードを引っ張ってくるのも実力のうちだよ」といわれて、すごく嬉しかった。この組み合わせになった瞬間から、いいカードになるのはわかっていいましたから。
試合はPLが先制して横浜が追いかける白熱した展開になった。終わってみれば延長17回、3時間半の試合だった。
石川:終わったら汗びっしょりで、暑さと緊張でそれまで気づかなかった。(中継中にアルバイトさんが)冷たいおしぼりを随時もってきてくれるんですけれど、それが中継デスクのいろんなところに散乱していた。フロアディレクターの指示も覚えていません。放心状態だったかもしれない。
試合終了直後、石川さんの中継で今でも私が覚えている言葉がある。勝った横浜高校の小山良男捕手が泣き、負けたPL学園の上重聡投手の笑顔を捉えて、こう言ったのだ。
《勝って泣く顔があります。負けて笑う顔があります》
大げさな表現を使うのでなく、事実を述べるだけで、両校のこの試合に賭ける想いを凝縮した。達意の実況だったと思う。
石川:見ている人は画面しか見てないので、その画面から読み取れるものはないかなと考えました。こういうとき、準備していた言葉ではダメなんです。自分の中から自然に出た言葉だから、印象に残ったんじゃないでしょうか。
当時、石川さんは「スポーツアナとしてやっていけるか」とキャリアに悩んでいた時期だという。それが17回をやりきったことで、スポーツアナとしての「励みに出来た」と語った。
石川:中継後に人から「あそこは違うだろう」と指摘されなかった。それで今でもスポーツアナとしてやれているんじゃないかなと思う。試合後に1度だけ、録画していた中継を見直したことがあるんです。中継している私は目の前の試合を追いかけるのに必死で、あの子たちのプレーのレベルに自分の技術が追いついていない。「ヘタクソだな、お前は」と思いました。
この大会後、規定が変更になり延長は15回までになった。つまり石川さんは高校野球中継で延長15回以上中継した、最後のアナウンサーということなる。
スポーツの実況アナには「名人」と呼ばれる人がいる。我々記者が記者席から中継ブースを見て、「あ、この試合の担当はあの人か」とわざわざラジオやテレビのチャンネルを合わせるようなアナウンサーだ。石川さんは間違いなく、名人の域に達する器の人だった。私の取材後、甲子園球場など現場でお会いするたびに「飲みに行きましょうね」と言いながら、そのままになってしまった。もっといろんな話を伺いたかった。残念でならない。