プロ野球は多くの国民をアツくさせてきたが、その裏事情を知ると、よりアツくなれる。世間を揺るがしたアノ事件の裏には何があったのか──。1989年の大騒動の裏事情を紹介しよう。
西武入団直後の清原和博のロッカーには、連続試合出場記録達成を記念して、「鉄人」と呼ばれた広島・衣笠祥雄が関係者に配ったペンダントが飾ってあった。先輩の東尾修が、「それを目標に世界一を目指せ」と渡したもの。
実際、清原は王の本塁打記録に加え、連続試合出場記録の更新も目標にしていた。しかし、その夢は4年目の1989年9月23日のロッテ戦で早くも崩れる。
試合は3回、清原が平沼定晴から30号満塁弾を放つなど、8-0と西武が圧倒的リード。しかし続く4回、再び打席が回ってきた清原の左ヒジに、平沼の140キロの直球が直撃した。
当時の打撃コーチだった土井正博が、「キヨにボールの避け方を教えなかったのは今でも後悔している」というほど、元来避けるのが下手な清原。死球に激高し、いきなり平沼にバットを投げつけ、その後ヒップアタックを見舞った。
通算与死球記録を持つ東尾は、「僅差での死球は緊張感からだが、大差での死球はわざと」と話す。清原も、
「僕には平沼さんがニヤッと笑ったように見えた」と語った。
しかし満塁弾を打たれた平沼としては、このまま引き下がれないとの思いから、内角を厳しく攻めた結果かもしれない。
真偽はどうあれ、暴挙は決して許されるものではない。「厳重戒告、制裁金30万円、出場停止2日間」の処分が下され、連続試合出場は490で途切れた。
清原は翌日、平沼に謝罪。その日のうちに、ロッカーのペンダントを外した。暴挙の代償は大きかった。
※週刊ポスト2013年1月18日号