1995年のオリックスは、1月に起きた阪神・淡路大震災を乗り越えパ・リーグを制覇。前年にシーズン210安打の日本新記録をマークしたイチローは、初の日本シリーズに胸を躍らせていた。
対する相手は、ID野球を標榜する野村克也監督率いるヤクルトである。 野村監督がシリーズのカギに挙げたのがイチローの封じ込め。戦前から「アイツの弱点は高めの直球」とマスコミに触れ回っていた。
迎えた第1戦、1回裏のオリックスの攻撃。先発のブロスがイチローに投じた第1球は高めの直球だった。
「いきなりキッチリ投げ込んでくるか」
それはイチローが、野村監督の策に呑み込まれた瞬間だった。
ヤクルトはシリーズに向けて、毎日2時間のミーティングをやっていたが、オリックスのそれはわずか10分。オリックス側にしてみれば、自分たちが完全に分析されていると思っても仕方がない。
だが、ヤクルト・古田敦也捕手は、後にこの初球をこう振り返っている。
「ブロスのような長身の投手は、緊張するとヒザがうまく使えず速球が高めに浮くことが多い。まして日本シリーズの第1球。真ん中を要求したのが、たまたま上ずって高めに入ってきた。それがうまくストライクになってくれただけ」
イチローは必要以上に野村ID野球の幻影に取り込まれてしまったのである。
天才打者も、当時はまだ22歳と若かった。「ならば高めを打ってやる」――完全に頭に血が上り、フォームを崩した。ヤクルトバッテリーに翻弄され、ムキになってバットを振る。シーズン中にはまったく見られなかった姿だった。
結局このシリーズ、イチローは19打数5安打と精彩を欠き、ヤクルトが4勝1敗で圧勝した。
野村監督は日本一の座についてから、「相手が勝手に考えてくれているうちは、黙っていればいいだけよ」と不敵に笑っていた。
※週刊ポスト2013年1月18日号